数分後店主がトレーを手にして戻って来た。
「少し冷えるでしょう? これ使って」
店主はバスケットに入っていたひざ掛けを雪子へ渡した。
「ありがとうございます」
店主がカップにお茶を注ぐとハーブティーの良い香りがした。
「これね、今ちょうど試作品で作っていた栗のケーキなの。よかったら試食してみて」
「いいんですか?」
「ええ、正直な感想を言って貰えると有難いわ」
店主は雪子の前に栗のケーキが載った皿を置く。
雪子はいただきますと言ってからケーキを一口いただいた。すると口に入れた瞬間栗の風味とかすかな洋酒の香りがふわっと広がり舌触りもしっとりしていてとても美味しいケーキだった。
「凄く美味しいです。しっとりした舌触りがいいですね」
「ありがとう。これは秋の定番にしようかなって思ってるのよ。で、あなたのカフェではケーキをいくつ必要なの?」
「まだ計画段階ではっきりした数字は言えないのですが、一人でやるカフェなのでかなり小規模だと思います。席も5つくらいが限界でしょうか?」
「という事は、大体20個から多くても30個くらいかしら?」
「そうですね、おそらくそのあたりかと」
「それは毎日?」
「いえ、私は現在パートで働いているので、出勤日を少し減らしてもらってからまずは週3日から始めてみようかと」
「週3か……それだったら私もなんとかなりそうかな」
「え?」
「実はね、私もそういうどこかと提携出来るような話があるといいなーってずっと思っていたの。こんな住宅街で店をやっているとね、常連さんは定期的に来てくれるけどさすがに毎日は来ないでしょう? 日によっては余っちゃったり全く売れない日もあるし…そうなると廃棄処分しなくちゃでしょう? だから毎日決まった数の注文があればいいなーってずっと思っていたの。だからタイミング良くてビックリしちゃった」
「そうなんですか?」
「ええそう。あ、申し遅れました、私、渡辺美智子と申します」
美智子はポケットから名刺を出した。
「あっ、浅井雪子と申します。すみません、まだ名刺がなくて…….」
雪子は恐縮しながら美智子の名刺を見た。
そこには店の名前、住所、携帯番号とEmailアドレス、そしてホームページのURLが書かれている。
自宅での小さな店の経営にもこういう名刺が必要なんだなと雪子は勉強になる。
それから二人は色々な話をした。
雪子は自分の経歴を全て美智子に話した。
怪しい人物と思われたくなかったので全てを正直に話した。
離婚してから今に至るまでの事、以前はデパートへ勤めていた事、そして今のパートの職場、さらに家族構成やコーヒーの勉強をしている事なども話す。美智子は雪子の話を真摯に聞いてくれた。
そして今度は美智子が自分の事を話し始めた。
美智子の年齢は52歳。雪子より2つ上だ。夫は20年前に交通事故で急死。それ以降はずっと娘とこの家で二人暮らしだったがその娘も今は結婚して横浜にいると言った。
やはり美智子も更年期症状が酷く一時は鬱気味になっていたらしい。
夫との急な死別、そして女1人での子育ては苦労が絶えなかったのだろう。子育てを終えてホッとした途端更年期障害を発症。
その経緯はなんとなく雪子と似ていた。
更年期が落ち着いた頃このケーキショップをオープンしたらしい。
ケーキ作りは昔本格的に習った経験があり、基本的なケーキはほとんどプロ並みに作れると言った。
せっかくの特技を生かさない手はないと、娘から自宅ショップを提案され店を始めたそうだ。
『クラージュ』
という店名はフランス語で『勇気』『熱意』といった意味で、その名の通り勇気を出して一歩を踏み出したと美智子は笑う。
店をオープンしてからは多忙ながらも充実した日々が続き、いつの間にか更年期症状はすっかりなくなってしまった。
今は客が美味しいと喜んでくれたり、この店の味が気に入りリピートしてくれる客がいるのが励みになると言った。
ただ先ほどのような理由で、もう少し無駄な経費を削減できないかと思案中だったという。
そこへタイミング良く雪子が話を持ち掛けて来たのでびっくりしたようだ。
「これは運命かもって思ったわ。もし雪子さんのお店がオープンしたら是非うちのケーキを置いていただけますか?」
美智子はそう言ってニッコリと笑った。
「本当ですか? ありがとうございます! 私、ネットで見てこのケーキに一目惚れしたんです。そんな素敵なケーキを素人がやるカフェに置かせて貰えるなんてすごく嬉しいです。本当にありがとうございます」
雪子は椅子から立ち上がると深々とお辞儀をした。すると美智子も立ち上がりこちらこそと言ってお辞儀を返す。
そして二人は握手を交わしながら声を出して笑った。
その後もお喋りは続き、いつのまにかすっかり冷え込むまで話し込んでいた。
「ごめんなさい、すっかり夢中になっちゃって。寒かったわね、家の中に入ってもらえば良かったわ」
「いえこちらこそ、突然お邪魔して長居してしまって。あ、今度はうちにも是非遊びに来て下さい。具体化したら工事が始まると思うのでその前の静かなうちに」
雪子は手帳を一枚破り、自分の住所と電話番号を書いてから美智子へ渡した。
それから2人はスマホで連絡先を交換してメッセージでのやり取りも出来るようにした。
雪子は購入したケーキを手にすると美智子に挨拶をしてから店を後にした。
コメント
2件
試作品の栗のケーキも美味しそう😍🌰🍂✨ お互いに条件がピッタリ....😆👍️💓 無事ケーキを仕入れられるようになり 良かったですね~🍰🥧 早速 俊さんに報告だね✉️💕
雪子さん思い切って足を運んでよかったですね〜👍 こういうのってタイミングで、1日違いでガラッと状況が変わっちゃいますもんね! 帰って俊さんに写メしなきゃ💌その後電話でもいいね〜😉 喜ぶ雪子さんの声を聞いて愛情いっぱいで答える俊さんが想像できる💖