テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
黒猿龍
67
#オリキャラ
須古星 れい
152
118
あたしは口先ばかりのお調子者だ。
ひょっとしたら、アブン兄ィより酷いかもしれない。
夕日に赤く染まった丘の道を、リリスは深いため息を引きずりながら下ってゆく。
自己嫌悪と後悔の念が、鉛のように重く圧し掛かってくる。
ルー夫人に向かって放った、浅はかな安請け合いが悔やまれて仕方がなかった。
何が大丈夫、だ。
何が、奥様も元気だして、だ。
川原に残って、毎日、洗濯をしていただけの人間がいう台詞じゃない。
それに、うちの芸人達がキレモノ揃いだなんて、大嘘だ。
「どうしよう、ホントに……」
途方に暮れ、リリスは呻いていた。
小娘の無責任な言葉が、あの優しい人の気持ちを裏切るようなことになったら……。
芸人以前に人間として失格だ。
「でも、他にどうしようもなかったんだもん……」
のろのろとリリスは自分に言い訳をする。
どうしても、奥様を、ルー夫人を励ましてあげたかった。
何かをしてあげたい、と本気で思った。
何となくだけど、あの人、あたしの母ちゃんに似ていたし……。
とにかく、とリリスは小さく頭を振った。
奥様のためにも、村の子ども達を何とか見つけ出さなくっちゃ。
でも、どうやって?
冷めた声がリリスの頭の隅で小さく響く。
たかが旅芸人、ナイフ投げしか芸のない小娘に一体、何ができる?
「ああ、もう!! どうすりゃいいのさ!!」
リリスは苛立った声をあげ、地団太を踏んでいた。
無論、誰も答えてはくれない。
ジョパンニ達に相談したところで、お前は余計なことをせずタック達と大人しくしていなさい、と釘を刺されるだけだろう。
ため息をつきながら――、ふと、リリスは道の横に立てられた白い柵の向こうを見る。
そこは村の共同墓地だった。
狭い土地に、幾つもの墓石が身を寄せ合うようにして立ち並んでいる。
その奥にはこんもりとした林が茂り、件の森へと繋がっているようだった。
夕闇に染め上げられてゆく墓地をボンヤリと見つめながら、リリスは思った。
奥様の旦那さんと娘も、この墓地のどこかで眠っているのだろうか?
死んだ娘、ソフィアはどう思っただろう?
どこの馬の骨とも分からない、旅芸人の小娘に自分の面影を見る、気の毒な母親を。
と――、墓石の蔭から、スクッと動く、人影があった。
「あっ……!!」
思わず、リリスは声をあげてしまった。
翼のようにはためく、漆黒の外套。
夕陽を受け血のような赤に光る、鋭い嘴。
ヴァロフェスだ。
酒場で出会い、夜の森で窮地を救ってくれた仮面の男。
男は黒い貼り絵のように、黄昏時の墓地に佇んでいた。
「…………ッ!!」
その姿から放たれる、ただならぬ気配にリリスは息を飲む。
自然とその場にしゃがみ込み、姿を隠していた。
まるで狼に怯えるウサギのようだ、とリリスは思った。
「フン。ここではない、か」
墓石に屈みこみながら、仮面の男が低い声で呟くのが聞こえた。
「ここにいる死者は揃いも揃って、眠りこけている。お気楽なことだ……」
男の独り言をリリスは理解できなかったが、酷く苛立っているように感じた。
と――、外套の裾をはためかせ、立ち上がる仮面の男。
それから人目を憚るかのように、物音一つ立てず、墓地の向こうに見える林の中に走り去っていった。
「な、何なの? 今の……」
そう呟いた途端、リリスは胸中に底知れぬ不安が込み上げて来るのを覚えた。
見てはいけないものを見てしまった。
そんな気がする。
だけど、とリリスは思いなおす。
あの人は――、ヴァロフェスはあたし達を助けてくれた。
どんな悪夢も及ばないような、おぞましい怪異から。
ひょっとしたら……。
リリスは立ち上がった。
そして、墓地の中に足を踏み入れ、仮面の男が走り去った林に向かって歩き始める。
ひょっとしたら、あたし達のように、この村のことも救ってくれるかもしれない。
あたしみたいな小娘じゃ奥様の力にはなれないけど、あの人なら……。
キュッと唇を噛みしめ、リリスは森へと続く小道を進んでいった。
仮面の男は、夕闇に沈む森の小路を滑るように進む。
西の山岳が血のように赤く染まり、草叢では兎をくわえた狐が、用心深そうな目つきで巣穴へと戻ってゆく。
仮面の男が立ち止ったのは、丸太を組み、屋根に藁をふいた小さなあばら屋。
それは今にも崩れ落ちそうな廃屋だった。
その戸口に塗りたくられたのは、今はすっかりと干からびた馬の糞。
それは、罪を犯し、村や町から追放された者の住居であることの証明だった。
私の仮面と似たようなものだな……。
口元に自嘲の笑みを浮かべながら、男は赤錆びたノブを回す。
つーん、と漂ってくる湿った黴の臭い。
しかし、それを気にかけることもなく、仮面の男はあばら屋の中に入ってゆく。
床板に空いた穴をよけ、今にも朽ち果てそうなテーブルの傍に置かれた安楽椅子に歩み寄った。
初めてこのあばら屋に仮面の男が足を踏み入れた時、椅子には、恐ろしく年を取った女の遺体が横たわっていた。
天井には、しわがれた泣き声をあげながら飛びまわる、彼女の死霊の姿があった。
生前、女は占いで生計を立てていたらしい。遺体の首や手足には、幸運を呼ぶとされる、伝統的な護符がいくつもぶら下げられていた。
もっとも、その効力は疑わしい限りだが。
女が追放された理由は、大方、他人の家畜に呪いをかけたとか、妻子持ちの男に誘惑の魔法をかけたとか――、とにかく、そんな疑いを周囲の人間に抱かれたのだろう。
仮面の男は、女の干からびた遺体をこのあばら屋の裏手――、彼女の家族のものと思しき、墓の隣に埋めた。
ゾッとしない作業ではあったが、女の魂はそれでこの世の縛めから解き放たれたようだ。
おかげで男は、頭上で喚き散らかされることもなく、静かな隠れ家を確保することができた。
「…………」
安楽椅子に腰をおろし、ゆっくりと上半身を反り返らせる。
窓から差し込む、薄ボンヤリとした夕陽がクモの巣にまみれた天井を照らす。
今にも崩れ落ちてきそうな梁の上を、鼠の親子が忙しげに走ってゆく。
「何だよ、ヴァロフェス。帰ったなら帰ったと言えよ」
テーブルに置かれた木偶人形、オルタンの木製の瞼がパカッと開いた。
「偵察、ご苦労さん。で、どうだ? 何か分かったか?」
「…………」
「あっ、そう。そりゃ残念だ」
クルクル、目を回しながらオルタンが言った。
「それにしても陰気クセー場所だな、ここは。……まあ、お前にとっちゃ人が寄りつかない、都合のいい隠れ家だろうがよ。俺様みたいな繊細な心の持ち主は、気が滅入っちまう」
「……騒がしい場所は嫌いなのだ」
低い声で仮面の男――、ヴァロフェスは答える。
「ここは子どもの頃、私が暮らしていた場所によく似ている」
「お前、座敷牢みたいな場所に閉じ込められていたのか?」
「…………」
「急に黙り込むなよ。お前のガキの頃って、一体、どんな感じだったんだ?」
オルタンの問いかけに、ヴァロフェスの口元が微かにひきつる。
「……お前に話す義理はない」
「おいおい、そんな言い方ねーだろ? 俺とお前の仲じゃねーか」
ひひっ、と卑しく笑うオルタン。
「そうだな。例えば――、可愛いイルマちゃんのこととか? 夢にまで出て来る女……」
なんだろ、というオルタンの問いかけは途中で途切れた。
疾風のように起き上がったヴァロフェスの右手が、人形の木製の喉を掴んでいた。
「……一度しか言わぬ。だから、よく聞け」
ぐえっ、と汚い喘ぎ声をあげるオルタンを乾麺の奥の暗い瞳が射抜いた。
「イルマの名を口にするな」
低く、有無を言わさぬ口調だった。
返事を待たず、ヴァロフェスはオルタンを埃だらけの床の上に投げ捨てる。
「ひ、ひでぇヤツだな」
恨みがましい声でオルタンが言った。
「俺様が身動きできねぇのをいいことに……。お前、ろくな死に方しねーぞ?」
「ああ、知っている」
何を今さら、とヴァロフェスが頷いた時だった。
コンコン、と。
外から扉を叩く音が響いた。
そして――
「こんばんわーっ」
この陰鬱な場所には相応しくない、明るい声が響いた。
「あのー、ちょっとお尋ねしたいことがー。ここに真っ黒な、鴉みたいな衣装の人、来ませんでしたーっ?」
舌打ちし、安楽椅子からと跳ね起きるヴァロフェス。
素早く扉を開くと――、そこには見覚えのある、子どもが立っていた。
森で《叫ぶ者》の餌食となるところだった、赤毛の娘だ。
「あっ、あの……」
もともと円らな娘の瞳が、ヴァロフェスを見上げ、更に大きく見開かれる。
「あの、あたしは、その、怪しい者じゃなくて――」
娘の言葉が終るよりも早く、ヴァロフェスはそのか細い腕をつかみ、あばら屋の中に引きずり込んでいた。
コメント
1件
読み終えました🌷 リリスの「浅はかな安請け合い」という自己嫌悪から始まる冒頭、もう彼女の不器用な優しさに胸がぎゅっとなりました。ヴァロフェスとの再会の仕方も、墓地のただならぬ空気も、一気に物語に引き込まれますね。ラスト、引きずり込まれる瞬間の緊張感——続きが気になって仕方ないです。二人の距離がどう動くのか、じっくり追いたいと思います🤍