土曜日の朝、今日は大輔が出張なので瑠璃子はバスで出勤した。
明日は休日なので、瑠璃子は今日の夜伊藤モータースの百合子と飲みに行く約束をしていた。
そして明日の休日は秋子の家で染織を教えてもらう。
あえて予定を入れる事で瑠璃子は大輔がいない淋しさを埋めようとしていた。
その頃大輔は新千歳空港にいた。案内のアナウンスが流れたので機内へ向かう。
学会は明日だが、今夜は恩師や医学部時代の同期との会食に出席する予定だった。
機内へ入り座席に座った大輔は、瑠璃子と出逢った日の事を思い返していた。
あの時細身の瑠璃子が小太りの男性に必死に心臓マッサージをしている様子はとても健気だったのを思い出す。
(あれからもう5ヶ月経つのか……)
大輔はそう思いながら窓の外をじっと見つめた。
羽田空港へ到着するとすぐに銀座へ向かう。今夜の会食は銀座の店で行なわれる。
約束の時間まではまだ2時間ほどあったので大輔は銀座の町を歩いてみる。
実は今日大輔は瑠璃子への誕生日プレゼントをここで買おうと思っていた。
通り沿いを歩いていると大輔の足がふと止まる。
そこにはハイブランドのジュエリーの店があった。以前瑠璃子にネックレスを買った店の本店だ。
大輔がショーウィンドーの中を覗くとあるジュエリーに目が留まる。
それは立て爪のダイヤのリングで、上品かつシンプルで瑠璃子に似合いそうだった。
大輔はすぐに店に入る。
すると大輔に気付いたスタッフが声をかけてきた。
「ようこそいらっしゃいませ。何かお探しの物がございますか?」
「ショーウィンドウに飾ってあるダイヤのリングを見せていただけますか?」
女性はにこやかな笑顔を浮かべて頷く。
「ただいまご用意いたしますのでどうぞこちらへ」
大輔はソファーへ案内された。
そしてスタッフは一度傍を離れると、しばらくしてジュエリートレーを手にして戻ってきた。
「失礼ですが、ご婚約用でございますか?」
「はい」
大輔は少し照れながら返事をする。
「ショーウィンドウのリングがこちらでございます。それと似たタイプをいくつかお持ちいたしました」
ジュエリートレーの上にはダイヤのリングが5~6種類並んでいた。
「ありがとうございます」
そこで大輔は一つ一つを手に取り見ていく。
全部見てみたが、やはり最初に見たデザインが瑠璃子には似合いそうだ。
そこで大輔は決心した。
「やはり最初に見た物が一番しっくりくるので、これをお願いします」
「ありがとうございます。ではサイズはいかがいたしましょうか?」
実は大輔は瑠璃子が泊りに来た夜に、こっそり瑠璃子の薬指のサイズを測っていた。そのサイズをスタッフに告げる。
そして会計を済ませた大輔は指輪を受け取ると、満足気な表情で食事会がある店に向かった。
その頃瑠璃子は居酒屋にいた。
仕事を終えてちょうど今百合子と合流したところだ。
「瑠璃子さんお仕事お疲れ様! 今日は女二人でとことん飲みましょうね」
「はーい」
「「かんぱーい!」」
二人はグラスをカチンと合わせると生ビールをぐびぐび飲む。
「美味しいー」
「ほんと、最高です」
そこで瑠璃子が聞いた。
「今日は桃子ちゃんはパパとお留守番ですか?」
「うん、そうよ。今夜は二人でお好み焼きを作るんですって」
「へぇ、楽しそう! ご主人優しいですよねー」
「うん、まあね。それに私にもこうやって時々息抜きさせてくれるし、感謝してるわ」
「うわぁ、ごちそうさまー!」
瑠璃子の言葉に百合子は嬉しそうに微笑む。
瑠璃子から見た百合子達夫婦は、互いを思い遣り常の仲の良い素敵な関係だなと思っていた。
「ところで大輔さんから聞いたわよ。瑠璃子さんとお付き合いしているって」
「はい……なんかいつの間にかそういう事になっちゃいました」
瑠璃子は少し照れたように言った。
「私ね、二人はお似合いだなーって前から思っていたの、だから凄く嬉しい! それに大輔さんにも漸く恋人が出来たんですもの……なんか感動しちゃったわ」
百合子は本当に嬉しそうだ。
「先日大輔さんがうちの店に来た時、なんかとっても表情が穏やかになってるなーって感じてね。あれはきっと瑠璃子さんの影響よねって夫とも話していたのよ」
「いえいえ、私にはそんな影響力なんて……」
「ううん、絶対に瑠璃子さんのお陰よ。でも良かったー、だって大輔さん、病院で色々言われていたでしょう?」
「えっ? 百合子さんご存知だったのですか?」
「もちろん知ってるわよ。病院の事は木村さんから筒抜けだもの。で、『デスラー』でしょう?」
「そうですっ」
そこで二人は声を出して笑った。
それから二人は美味しい料理を食べながら女同士の楽しい時間を過ごした。
その頃、大輔も銀座の店で恩師や仲間達と楽しいひと時を過ごしていた。
懐石料理を食べながら大輔が仲間と酒を酌み交わしていると、恩師の村田(むらた)が日本酒を手にして大輔の隣へ来た。
「大輔、どうだ? 北海道では相変わらず『神の手』を振りかざしているのか?」
村田が大輔のお猪口に酒を注いでくれたので、大輔は一口飲んでから言った。
「村田教授、『神の手』は大げさですよ。それよりも最近歳のせいか体力が落ちてきて手術が続くとしんどいですよ」
「それはお前の鍛え方が足りないんだろう?」
村田は大輔の肩を叩くと笑いながら言った。そして今度は声のトーンを少し抑えて大輔にこう言う。
「で、例の彼女の件はどうだ? 彼女が北海道へ行ったって事まではわかったけどその後どうなった?」
「はい。実は今偶然同じ病院で働いてます」
それを聞いた村田はかなり驚いている様子だった。
「ハハッ、まさかそんな偶然があるとはなぁ。びっくりしたよ、いやー驚いた…」
村田は豪快に笑い始める。その時隣のテーブルから村田を呼ぶ声がした。
「村田教授、こっちにも来てくださいよー」
「おーっ、わかったわかった」
そこで村田は真面目な顔で大輔に言った。
「いいか? これは運命かもしれないぞ? だからな、大輔! このチャンスは絶対に逃がすなよ」
「はい、わかってます…」
「そうかそうか、それなら安心だ」
村田は満面の笑みを浮かべると大輔の肩をポンポンと叩いてから隣のテーブルへ移動した。
その頃、居酒屋を出て百合子と別れた瑠璃子はタクシーでマンションへ向かっていた。
今雪はやんでいる。しかし寒さは相変わらず厳しい。
百合子と過ごす時間はとても楽しいものだった。
しかし百合子と別れた途端、急に淋しさが襲ってくる。
いつもは当たり前のようにいた大輔がこの町にいないだけで、なんだかとても心細い気持ちになる。
マンションの前でタクシーを降りた瑠璃子は、淋しさを抱えたままとぼとぼと歩き始める。
その時突然携帯が鳴った。大輔からの着信だ。
瑠璃子は慌てて電話に出た。
「もしもし先生? 今どこからですか?」
瑠璃子が捲し立てるように言ったので大輔は笑っている。
「ハハッ、なんかすごく歓迎されているみたいだな。さっき銀座での会食が終わって今からホテルへ戻るところだよ」
「銀座? うわぁ懐かしい。え? って事はお医者様の集まりで銀座だから高級クラブとかバーに行ったのですか?」
瑠璃子の発想があまりにも可笑しくて大輔は声を出して笑う。
「アハハッ、なんかテレビドラマの見過ぎじゃないか? 今日行ったのは普通の日本料理の店だよ」
「え? そうなんですか? なんだ……」
瑠璃子は自分がホッとしている事に気付く。そして甘えるような声で呟いた。
「先生がこの町にいないと淋しいです…」
少ししょんぼりとした瑠璃子の声を聞き大輔の胸が疼く。大輔は今、瑠璃子の事が愛おしくて仕方がなかった。
大輔はこれ以上ないというくらい優しい口調でなだめるように言った。
「明日帰るから」
「うん…」
「今日は百合子さんと飲み会だったんだろう?」
「あ、はい。とっても楽しかったです」
「明日も何か予定があったよね?」
「はい。明日は秋子さんに染織を教えてもらいます」
「素敵な友達がいっぱい出来て良かったね」
「うん……」
瑠璃子は受話器越しに大輔の優しい声を聞き少し機嫌が直る。
それから二人はしばらくの間とりとめのない話を続けた。
大輔は瑠璃子の淋しさを紛らわすようにあえて長電話に付き合ってくれた。その優しさが瑠璃子は嬉しかった。
電話をしながら瑠璃子がふと空を見上げると、やんでいたはずの雪が再び舞いりてきた。
まるで天使の羽根のようにフワフワと瑠璃子の足元に落ちてくる。
瑠璃子は愛する人の声を耳元で聞きながら、北国の幻想的な風景をいつまでも眺めていた。
コメント
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やっぱり大輔さんは 瑠璃ちゃんを離れた場所からずっと見守っていた....⁉️ 愛する人の声を聞いて安心する瑠璃ちゃん🥺💓 大輔さんも、きっと同じく気持ちだよね💝✨ そして、お誕生日プレゼントのエンゲージリング✨💍✨ いよいよプロポーズ....💖ドキドキですね👩❤️👨
のもぉ、きょうはとこぉとん、もりあがろぉ(森高千里『気分爽快』より)わたしも、ちょっとだけ染めやったことあるけど、楽しいよなぁ。言うて玉葱の皮、冷凍室に入れたまま数ヶ月。