相談用紙は、やけにきれいに折りたたまれていた。几帳面というより、乱暴に扱えなかった跡のようで――文字も震えていた。
「……親に殴られてます。小さい頃からです。でも、今は、もう、謝ることさえなくなりました。声も出さなくなって。私も、痛いと思うより、何も感じなくなってきました。
友達は、家の話なんかしたら引くし、先生も……なんか、見て見ぬふりです。
別に死にたいわけじゃないけど、生きたいとも思いません。
こういうのって、逃げられるんですか?」
遥は紙を読み終えて、わずかに首を傾げた。すぐには答えない。ただ、机の端を指先でトントンと叩く。
「……逃げるのって、わりと難しいよ」
ぽつりと漏れた声は、乾いていて、どこか遠い。
「逃げようとしたら、『お前が悪い』って言われるし。逆に我慢してると、『気づかなかった』ってことになる。どっちも地獄だ」
遥は、椅子にもたれて天井を仰いだ。呼吸のように、言葉が落ちてくる。
「俺さ……自分が『痛い』って思ってるうちは、まだマシだった気がする。
ほんとの地獄って、痛みがなくなることだよな。
それって、『自分』が死ぬってことだろ。肉体だけ残して」
机の上のペンを転がしながら、遥は目を細める。
「でも――逃げられないとは思わない。
ただし、逃げるときは、誰にも期待しないほうがいい。
手、つかんでくれる奴なんか、そうそういない。むしろ、蹴ってくる奴の方が多いから」
沈黙。
遥はゆっくりと座り直し、低く言った。
「それでも、逃げた方がマシ。
誰にもバレないまま、殺されるぐらいなら。
無様に、醜く、泣いてでも逃げた方が、まだ人間だろ」
言葉は鋭いが、冷酷ではなかった。むしろ――痛みを知っている者の声だった。
「もし本気で逃げたいなら……そのときは、また来いよ。
逃げ方、いくつか知ってる」
淡々と。まるで、自分自身への言葉のように。