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相談室のドアが、少しだけ開く。
中をのぞいてから、生徒が入ってくる。
「……今、いいですか」
「うん」
日下部は机の上のノートを閉じる。
生徒は椅子に座る。
カバンを膝の上に置いたまま、少しだけ握っている。
「変な相談かもしれないんですけど」
言いかけて、少し止まる。
「……家では普通なんです」
「うん」
「普通にしゃべるし」
「うん」
「家族とも別に問題なくて」
一拍。
「でも」
視線が床に落ちる。
「学校だと」
言葉が出てこない。
「……別人みたいになるんです」
日下部は何も挟まない。
「声とか」
一拍。
「小さくなるし」
「うん」
「話すのも遅くなるし」
「うん」
「なんか」
言葉を探す。
「自分じゃない感じになる」
静か。
「家だと」
一拍。
「普通に冗談も言うんです」
「うん」
「怒ったりもするし」
「うん」
「なのに学校だと」
少し笑う。
「すごい大人しい人みたいになってて」
沈黙。
「友達に」
一拍。
「“家でもそんな感じなの?”って聞かれて
違うって言えなかったんです」
日下部は少し首を傾ける。
「言えなかった?」
「はい。なんか」
一拍。
「言うの変な気がして」
静か。
「家では普通って言ったら」
少し言葉を選ぶ。
「“じゃあなんで学校ではそうなの?”って」
一拍。
「聞かれそうで」
日下部は小さく頷く。
「それは」
静かに言う。
「わりと普通の現象だ」
生徒が少し顔を上げる。
「普通なんですか」
「うん」
「人は」
一拍。
「場所ごとに人格を少し変える」
生徒は黙る。
「家の人格。学校の人格。 バイトの人格」
一拍。
「全部ちょっと違う」
静か。
「ただ」
指で机を軽く叩く。
「学校は」
一拍。
「評価される場所だから」
生徒が頷く。
「はい」
「人は防御寄りになる」
沈黙。
「つまり」
一拍。
「別人になってるんじゃない」
静かに続ける。
「守りに入ってる」
生徒は少し考える。
「守り」
「うん」
「失敗したくない。
変に思われたくない。
浮きたくない」
一拍。
「その全部がブレーキになる」
静か。
「だから」
生徒が小さく言う。
「家の自分が本当で」
一拍。
「学校の自分は」
言葉が止まる。
「……偽物みたいで」
日下部は首を振る。
「偽物ではない」
一拍。
「環境適応」
短く言う。
「人間は場所ごとに調整する」
沈黙。
「むしろ」
一拍。
「完全に同じ人の方が少ない」
生徒は少し肩の力が抜ける。
「そうなんですか」
「うん」
日下部は続ける。
「ただ」
一拍。
「疲れるなら」
静か。
「少しずつ戻す」
生徒は首を傾げる。
「戻す?」
「全部じゃなくていい」
一拍。
「一個だけ」
沈黙。
「例えば?」
「例えば」
少し考える。
「笑い方。
声の大きさ。
一言だけ多く話す」
一拍。
「家の自分を一ミリ持っていく」
静か。
「いきなり全部は無理」
一拍。
「でも少しなら持ち込める」
生徒は机を見つめる。
「……一ミリ」
「それを」
一拍。
「何回もやる」
沈黙。
「そうすると二つの自分の差が」
指で空間をなぞる。
「少しずつ縮まる」
静か。
生徒はゆっくり頷く。
「なんか」
一拍。
「安心しました」
「うん」
「自分がおかしいのかと思ってました」
日下部は軽く肩をすくめる。
「環境が変われば人も変わる」
短く言う。
「それは壊れてるんじゃなくて」
一拍。
「ちゃんと反応してるだけ」
生徒は立ち上がる。
「……やってみます」
ドアの前で振り返る。
「学校の自分って」
一拍。
「いつか自然になりますか」
日下部は少し考える。
「なる人もいる」
一拍。
「ならない人もいる」
静か。
「でも」
最後に言う。
「どっちでも問題ない」
沈黙。
「自分が一番楽な位置を自分で決めればいい」
ドアが静かに閉まる。