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「分かりやすくなる」というのは、殴られる回数が増えるとか、蹴りが強くなるとか――
そういう話じゃなかった。
翌日、遥の朝は静かだった。
誰も声をかけない。
机を蹴られない。
鞄を投げられもしない。
その違和感が、逆に胸を刺激する。
来ない。
まだ、来ない。
昼休みになっても同じだ。
視線はある。
だが、絡んでこない。
「……今日、やんないの?」
誰かが小声で言うのが聞こえた。
もう一人が、それに即座に返す。
「今日は違うだろ」
「話、ついてんだろ」
——話。
遥の指先が、机の裏で僅かに強ばる。
放課後。
階段裏ではなく、廊下の突き当たりだった。
壁と壁に挟まれた、逃げ場のない直線。
「おい」
呼び止められる。
振り向く前に、腹へ一発。
不意打ち。
容赦はない。
「……っ!」
息が折れる。
床に崩れ落ちそうになる体を、今度は支えられる。
倒させない。
「今日はさ」
低い声。
「“示す日”だから」
殴る。
脇腹。
間髪入れず、太腿。
だが蹴られない。
倒させない位置で、打つ。
それが新しかった。
「ほら」
「立てよ」
足で払われる代わりに、襟を掴まれて起こされる。
暴力が、管理に変わっている。
「逃げられないの、理解しやすいだろ」
その声を、遥は知っていた。
蓮司だった。
いつの間にか近くにいる。
いや――最初から、ここは蓮司の選んだ場所だ。
「昨日言ったじゃん」
蓮司は穏やかに言う。
「分かりやすくなるって」
遥の腹に、もう一発。
深い。
内臓が揺れる。
「変な遠慮、なくなるし」
その言葉の次に、もう一人が殴る。
間を空けない。
交互。
一定のリズム。
逃がさない
壊しすぎない
でも、抵抗も許さない
「今まではさ」
蓮司は、実況みたいに続ける。
「日下部がいるかどうか」
「周りの目がどうとか」
「そういう、無駄な配慮あっただろ」
遥の視界が揺れる。
呼吸が浅い。
「でも、全部いらなくなった」
殴られる。
止まらない。
「もう、お前を守る理由ないし」
「止めなきゃいけない理由もない」
——分かりやすい。
それは、
誰が許可を出しているかが、露骨になったという意味だった。
「俺が、ここにいる」
蓮司は言う。
「それだけで成立する」
遥は歯を食いしばる。
声が出そうになるのを、殺す。
「黙ってるの、偉いね」
その評価が、背中を冷やした。
「ほら」
「こうしてればいい」
また殴る。
腹。
そして初めて、蹴り。
倒れた瞬間を狙った、追加の一発。
重量が違う。
「……っ、」
床に転がる遥を、誰も笑わない。
作業みたいに、淡々としている。
それが「遠慮がない」ということだった。
感情も、理由も、装飾もない。
ただ――
許可された行為としての暴力。
蓮司は、少し離れた場所からそれを見ている。
「安心しなよ」
遥に言っているのか、場に言っているのか分からない声。
「ルールは俺が決める」
「勝手にエスカレートさせない」
その“配慮”が、何より残酷だった。
殴られる範囲。
回数。
タイミング。
すべてが管理される。
つまり、逃げ場は完全に消える。
やがて、止まる。
「今日はここまで」
誰かが息をつく。
蓮司は、そのまま踵を返す。
「明日も来いよ」
「分かりやすいほうが、楽だろ」
そう言い残して去る。
残された廊下。
遥は、しばらく動けなかった。
痛い。
重い。
息がうまく入らない。
でも、心の奥。
確かに、理解している。
——日下部はいない。
——偶然もない。
——誤解もない。
すべて、意図。
それでも。
遥は、小さく息を吸う。
分かりやすいなら、せめて――
俺は、ここに同意していない。
それだけが、まだ奪われていない。
床に手をつき、ゆっくりと体を起こす。
震えながらも、立つ。
明日も来る。
逃げない。
それは従属ではない。
拒絶したまま、折れないという選択だ。
その背中を、遠くから誰かが見ていた。
蓮司ではない。
だが――
蓮司の支配は、もう校舎全体に行き渡り始めていた。