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空乃 美晴
89
雨晒しの原稿用紙
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その夜、クリストルンはなかなか眠れなかった。
布団に入っても、閉じたまぶたの裏に浮かぶのは、ノートの文字と、父の「完成できなかった」という声ばかりだ。時計の針が進む音まで妙に大きく聞こえる。
ふいに、昔の夜を思い出した。
まだ小さかったころ、雷が苦手で眠れなくなると、クリストルンはよくモンジェの布団へ転がり込んだ。そういうとき父は、眠くて仕方ない顔のまま、いつもでたらめみたいな昔話をしてくれた。
「昔々、泣き虫なくまがいた」
「またくま」
「いいだろ。くまは便利なんだ」
「ずるい」
「そのくまはな、声をしまえるんだ。寂しいときに耳を押すと、大事な人の声が聞こえる」
あのときは、ただの寝かしつけの作り話だと思っていた。
けれど今なら分かる。
あれは作り話ではなく、父が作ろうとして、作れなかった玩具の話だったのだ。
クリストルンはがばりと起き上がった。
「そういうこと……」
自分が子どものころから聞いていた夢の続きを、今、自分が職場で言葉にしていた。
偶然ではない。
毎日の中で、知らないうちに受け取っていたのだ。
机の上のノートを開く。
古い設計線の横に、自分のメモ帳を並べる。
親が子に一言だけ預けられる玩具。
言えない気持ちを助ける声。
抱くと安心する重さ。
別々だと思っていた線が、少しずつ一本につながっていく。
クリストルンは鉛筆を取った。
「続き、作れるかもしれない」
小さく口に出すと、胸の奥に灯がともる。
廊下で足音がして、モンジェが戸の向こうから声をかけた。
「まだ起きてんのか」
「うん」
「寝不足の新入社員は、朝から顔が死ぬぞ」
「大丈夫。今ちょっと、生き返ったから」
「何だそれ」
呆れたような声に、少しだけ笑みが混じる。
クリストルンは戸を開けずに言った。
「お父さん、昔、あのくまの話、してくれたよね」
「……したかもな」
「ちゃんと覚えてる」
「そりゃどうも」
返事は短かったが、向こう側で気配が止まった。
たぶん、父も思い出しているのだ。
「私、続きを作る」
クリストルンは、ノートの上に手を置いて言った。
「お父さんが途中まで作ったもの。私が、ちゃんと最後まで考える」
廊下の向こうで、しばらく沈黙があった。
それから、低い声が返ってくる。
「寝てから考えろ。続きは、朝のほうがましだ」
それは賛成ではないし、反対でもない。
けれど、モンジェなりの許しだと分かった。
クリストルンはふっと笑って、布団に戻る。
天井を見上げたまま、胸の中でそっとつぶやく。
今度は作り話じゃない。
続きを、本当に形にしてみせる。