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#無感情
朝。いつもと変わらないはずだった。
騒がしくて、どうでもいい話が飛び交って、 誰も何も気にしていないような顔。
でも、どこか一つだけ違った。
理由は分からない。
ただ、“方向”だけが揃っている。
遥は席に座る。
机は普通。
椅子もある。
それだけで、少しだけ分かる。
(今日は違う)
暴力の気配が薄い。
でも、それは“安全”じゃない。
むしろ逆。
「なあ」
横のやつが話しかける。
昨日までなら、蹴ってきていたやつ。
「ノート見せて」
普通の声。
遥は一瞬だけ止まる。
(なんで)
でも、出す。
拒否する理由がない。
というより、拒否できる空気じゃない。
「サンキュ」
軽く笑う。
それだけ。返ってくる。
それが気持ち悪い。
後ろでも同じようなやり取り。
「消しゴム貸して」
「いいよ」
普通。
全部が普通。
でも、
(揃ってる)
誰か一人の判断じゃない。
全員が、同じ“線”の上にいる。
黒板の前。
蓮司が立っていた。
チョークを持っている。
何かを書くわけじゃない。
ただ、指で軽く回している。
その仕草だけで、何人かが無意識にそっちを見る。
声をかけているわけじゃない。
命令もしていない。
でも、“基準”がそこにある。
遥は目を逸らす。
見ない。
見たら、その中に入る気がする。
授業が始まる。
先生が入ってくる。
普通に進む。
誰も騒がない。
誰も遥に触れない。
それが逆に、神経を削る。
ノートを取る。
手が少しだけ遅れる。
「そこ違う」
前のやつが振り向く。
小声で言う。
指で指す。
正しい場所。
遥は一瞬固まる。
(なんで)
でも、書き直す。
「ありがと」
言いそうになる。
言わない。
言ったら、何かが崩れる。
昼休み。
弁当を広げる音。
笑い声。
遥の机には、何もない。
いつも通り。
でも、
「これ食う?」
横から差し出される。
パン。
未開封。
遥は動かない。
「いらねぇ」
短く返す。
「そ?」
引っ込む。
無理に押してこない。
それも、気持ち悪い。
(なんだこれ)
視線を感じる。
教室の中央。
蓮司。
誰とも話していない。
でも、誰もがその“範囲”を意識している。
近すぎず、遠すぎず。
自然な距離。
でも、それは作られた自然。
日下部は窓際にいる。
腕を組んで、黙っている。
昨日のことがある。
だから分かる。
(気づいてる)
でも、動かない。
動けない。
ここで動いたら、この“バランス”が壊れる。
そして、 壊したあとどうなるか、もう知っている。
午後。
授業中。
消しゴムが転がる。
遥の足元。
前のやつが振り向く。
「ごめん」
普通に拾おうとする。
遥は先に拾う。
渡す。
「どうも」
それで終わり。
何も起きない。
何も起きないことが、異常に重い。
放課後。
誰も遥を呼ばない。
誰も近づかない。
でも、完全に無視でもない。
“存在している前提で放置される”。
それが一番曖昧で、一番逃げ場がない。
教室を出る。
廊下。
背中に視線はない。
なのに、
(見られてる)
そう感じる。
階段を降りる。
足音がやけに響く。
玄関――校門へ向かう。
外の空気。
少しだけ軽い。
そのとき。
背後から声。
「帰るの」
振り向く。
蓮司。
一人。
距離は近くない。
でも、遠くもない。
ちょうどいい位置。
遥は何も言わない。
蓮司は少しだけ首を傾ける。
「今日、楽だったでしょ」
事実を言う声。
感情がない。
遥は黙る。
「別に」
それだけ返す。
蓮司は小さく笑う。
「そっか」
沈黙。
風が吹く。
「続けるよ」
唐突に。
遥の眉がわずかに動く。
「何を」
聞いてしまう。
蓮司は答える。
「今の」
簡単に。
「やめさせたわけじゃないから」
その言葉。
静かに落ちる。
遥の喉が詰まる。
「やめろなんて言ってない」
蓮司は続ける。
「ただ、順番変えただけ」
一歩、近づく。
「壊れるタイミングも」
視線が合う。
逃げられない。
「コントロールした方が、長く持つから」
心臓が跳ねる。
(こいつ)
「昨日さ」
蓮司の声が少しだけ低くなる。
「日下部、邪魔だったよね」
事実。
でも、言い方が違う。
遥は何も言えない。
「でも、ああいうのがあると」
少し考えるように間を置く。
「バランス崩れるから」
だから今日。
だからこの空気。
「優しいねって思った?」
問い。
遥は即答できない。
沈黙。
それだけで十分。
蓮司は笑う。
「思ってないか」
納得したように。
「いいよ、それで」
振り返る。
去る。
そのまま、何もなかったみたいに。
遥だけが残る。
校門の前。
動けない。
頭の中で、さっきの言葉が回る。
──やめさせたわけじゃない
──順番変えただけ
──長く持つから
理解してしまう。
今日の“普通”は、救いじゃない。
延命だ。
ゆっくり壊すための。
逃げ場を消すための。
“優しさに見える地獄”。
(……最悪だ)
でも、一番まずいのは、少しだけ思ってしまったこと。
(……楽だった)
その事実。
それが、何より気持ち悪かった。
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