相談室の窓は少しだけ開いていた。
風でカーテンが動くたび、机の上の紙が揺れる。
ノックはなく、ドアが細く開いた。
「失礼します」
「どうぞ」
日下部は顔を上げる。
入ってきた生徒は、いつもの席に迷いなく座った。
「今日は何」
「……特に大きいことじゃないです」
「だいたいそう言う」
淡々と返される。
少し間があって、相談者は言う。
「友達、いるんですけど」
「うん」
「別に嫌じゃないんです」
そこで止まる。
「でも、楽しいかって言われると」
言葉が浮かばない。
「……分からない」
日下部は腕を組まない。
机に手を置いたまま聞く。
「会ってるとき」
「はい」
「気は楽?」
「楽ではあります」
「無理はしてない」
「してないです」
そこまで確認して、日下部は言う。
「じゃあ問題なさそうだけど」
「そうなんですけど」
相談者は机を見る。
「予定が入ると、
“まあいいか”ってなるんです」
「断りたいほどじゃない」
「はい」
「でも楽しみでもない」
静かな肯定。
「会えば普通に話します。
変な空気にもならないし」
「うん」
「でも帰ったあと、
何も残らない」
少しだけ声が低くなる。
「写真も思い出も、
なんか全部薄い」
日下部はすぐには答えない。
「そいつ」
「はい」
「いなくなったら困る?」
相談者は考える。
「……困るとは思います」
「じゃあ切りたいわけじゃない」
「違います」
「でも増やしたいとも思わない」
「……はい」
短い沈黙。
「それな」
日下部が言う。
「“嫌じゃない”で続いてる関係だ」
相談者は少しだけ目を上げる。
「嫌いじゃない。
問題もない。
衝突もしない」
日下部は続ける。
「でも」
一拍。
「踏み込んでもない」
相談者の表情が動く。
「踏み込む」
「相手がどう思ってるかじゃなくて」
「はい」
「自分がどうしたいか、
あんまり出してないだろ」
否定しない。
「……出してないです」
「だからな」
日下部は淡々と言う。
「関係が“安全圏”のまま止まる」
窓の外で部活の声が上がる。
「安全圏って」
「壊れない距離」
「……ああ」
小さく納得する。
「壊れないけど」
日下部は続ける。
「深くもならない」
相談者は少しだけ笑う。
「それでいい気もするんです」
「いいと思う」
即答。
「全部の関係、深くする必要ない」
机の光が少し動く。
「ただ」
日下部は視線を上げる。
「“何も残らない”って感じるなら」
「はい」
「どこかで、
残る関係が欲しいんだろ」
相談者は黙る。
否定は出ない。
「一個だけでいい」
日下部が言う。
「そいつと」
「はい」
「ちょっとだけ、
どうでもいいこと言ってみろ」
「どうでもいいこと」
「正解とか気にしないやつ」
相談者は考える。
「……くだらない話、とか」
「そう」
「反応悪かったら」
「それも出来事」
淡々としている。
「安全圏、ちょっとだけ外れる」
沈黙。
相談者は小さく頷く。
「……やってみます」
日下部は頷いただけだった。
椅子が引かれる音。
立ち上がる。
ドアの前で振り返る。
「嫌じゃない関係って、
悪くないですよね」
「悪くない」
一拍。
「ただ、それだけで
全部埋めようとすると薄くなる」
相談者は小さく笑って出ていった。
ドアが閉まる。
風がまたカーテンを揺らす。
日下部は何も書かず、しばらく机を見ていた。






