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黒瀬が、何をしたか。
それは、まだ確定していない。
だが――
黒瀬が何を知っていたかは、
少しずつ、形を持ち始めていた。
真琴は、失踪事件と不正事件の資料を、あえて混ぜて机に広げた。
時系列は崩れる。
公式の整理も無視する。
その代わり、
「同じ名前が出てくる場所」だけを拾っていく。
行政文書の端。
参考人聴取のメモ。
内部用の簡易年表。
そして、連続失踪事件の捜査報告書。
「……重なってる」
玲が、小さく言った。
黒瀬の名前は、
失踪事件の“前”から、何度も出てくる。
不正事件の直接の当事者ではない。
名義もない。
署名もない。
だが――
周辺に、必ずいる。
「立場が微妙だな」
燈が言う。
「中枢でもないし、末端でもない」
「うん」
真琴は頷いた。
「情報が集まる位置にいる」
決定権はない。
命令権もない。
だが、
誰が何を言ったかは、自然に耳に入る。
「……知らないで済ませるには、近すぎる」
澪が言った。
真琴は、一つの記録を引き抜いた。
不正事件の最終局面。
内部聴取の補足メモ。
参考人:黒瀬
発言内容:
「自分は判断に関わっていない」
「全体像は把握していない」
「否定の仕方が、変」
玲が即座に指摘する。
「“関わっていない”とは言ってるけど、
“知らない”とは言ってない」
「そう」
真琴は静かに答える。
「知らないなら、そう書ける。
でも黒瀬は、そう言ってない」
把握していない。
判断していない。
だが、
見ていなかったとは言っていない。
「……知ってる人間の言い方だな」
燈が言う。
沈黙が、少し質を変える。
これは、
恐怖からの沈黙でも、
混乱からの沈黙でもない。
「選んでる」
真琴は言った。
「言わない言葉を、選んでる」
もし、黒瀬が真犯人なら、
沈黙は逃げだ。
だが、
もし黒瀬が“真犯人を知っているだけ”なら――
「……語ると、壊れる」
澪が、ぽつりと言った。
何が?
真琴は、資料から顔を上げる。
「事件、だけじゃない」
黒瀬が語れば、
不正事件は再び開かれる。
だがそれは、
真実が明らかになる、という意味ではない。
「構造が、露出する」
判断を分散させた全員。
責任を薄めた全組織。
「仕方なかった」で通した無数の選択。
「誰か一人を悪にできない」
玲が言う。
「だから、代わりが必要になる」
真琴は、ゆっくり頷いた。
「……黒瀬は、
その“代わり”に一番向いてた」
単独犯に見える。
反論しない。
弁明しない。
使いやすい沈黙。
「じゃあさ」
燈が言う。
「黒瀬は、
自分が“使われる”って分かってた?」
真琴は、即答しなかった。
だが、黒瀬の調書を、もう一度見つめる。
淡々とした文字。
感情のない文体。
無駄のない否定。
「……分かってたと思う」
少なくとも、
語らないことで何が起きるかは、
理解していた。
それでも、黙った。
「つまり」
澪が言葉を継ぐ。
「黒瀬の沈黙って、
“逃げ”じゃなくて――」
「選択」
真琴は言った。
正義のためでもない。
誰かを守るためでもない。
ただ、
これ以上、踏み込ませないための沈黙。
そのとき、
真琴の視線が、ある名前で止まった。
不正事件の内部メモ。
連続失踪事件の初動報告。
同じ場所に、
同じ人物の署名。
久我。
「……」
真琴は、何も言わなかった。
だが、
沈黙の向こう側に、
“もう一人の人間”がいることだけは、
はっきりしてしまった。
黒瀬は、
一人で黙っているわけじゃない。
この沈黙は、
誰かの「踏み込めなかった場所」と、
ぴったり重なっている。
真琴は、父の手帳を閉じた。
「次は……」
言葉にするのを、少し躊躇う。
「黒瀬が、
誰のために黙ったのかを見る」
それは、
事件よりも、
ずっと厄介な場所だった。