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※カフェ後の加筆。
「──俺、こいつと付き合ってるから」
あの瞬間。
遥の指が、自分の袖をぎゅっと掴んだ感触だけが、やけに鮮明に残っていた。
振り返ると、日下部の表情は見事だった。
引きつった目元、わずかに開いた口。
感情が処理しきれていない人間特有の“ノイズ”。
(……マジかよ)
思わず、笑いそうになった。
いや、唇の端はもう上がっていた。
こんな面白いものを見逃す理由なんかない。
遥が嘘をつくこと自体は、珍しくない。
媚びた声も、壊れたふりも、あいつは今や“手慣れた演者”だ。
──だが、“俺を使った”のは初めてだった。
「自分から」「主体的に」踏み込んできた。
それも、自分が意図すらしていない形で。
しかもそれが、明らかに日下部を意識しての行動だときている。
(へえ……)
掌の中に落ちてくる感じが、悪くなかった。
ちょっとずつ、ゆっくりと、ねじれてきてる。
これまでの遥は、壊れていたけど、どこか他人事だった。
でも今は違う──「自分の意思で、より壊れようとしてる」。
“その片棒を担がされた”事実が、妙に愉快だった。
──これは遊べる。
そう確信した時には、もう次の一手を考えていた。
数時間後、沙耶香の部屋。
「……で、“付き合ってる”らしいよ、俺たち」
蓮司は、ソファにだらしなく座ったまま、そう言った。
沙耶香は、鏡の前で髪を梳かしながら、ふっと笑った。
「へぇ。それで?」
「いや、俺もびっくりした。アイツ、急に言い出して。俺、なにもしてないのにさ」
「嘘」
「ほんと。冗談でも煽りでもなかった。……多分、日下部向け。完全に」
沙耶香は、櫛を置いて振り返った。
その目には、ほんの少しの光が宿っていた。
「つまり、“おもちゃとしての自覚”が芽生え始めたってことね?」
「だな。しかも、自発的に」
蓮司は笑う。
こうなると話が早い。
“操る”必要がないぶん、遥の壊れ方は加速する。
「で、どう使う?」
「あなたはどうしたいの?」
沙耶香がソファに寄りかかり、脚を組んで見せる。
その問いには、答えの代わりに肩をすくめただけ。
「俺は別に……。面白ければいい。日下部がどう出るか、もう少し泳がせてみようかな」
「ふぅん。でも、“彼氏”って言われたからには、応えてあげないとね」
「まあね。……期待に応えないと、可哀想だし?」
皮肉のような、本気のような笑い。
沙耶香は、喉の奥でくすっと笑った。
「じゃあ、あなたなりに“彼氏”してあげれば?
あの子、演じるしか知らないから──本当の“支配”の気持ちよさ、まだ知らないのよ」
「じゃあ、教えてやるか。俺たちが“何をどう壊すか”、ってこと」
**
蓮司は、ゆっくりと立ち上がった。
窓の外はすっかり暮れていた。
遥の言った「付き合ってるから」は、
あの壊れかけた笑顔とともに、耳の奥に残っている。
あの顔は──
(……演技じゃなかったな)
ふと、そう思った。
一瞬だけ、“本気”が見えた気がした。
それが、いちばんゾクッとした。