テラーノベル
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営業終了まで、あと一時間。
ラストに近づくほど、店は少しだけ静かになる。
帰る人と、残る人。
その境目が、はっきり見える時間。
「ナナ」
黒服に呼ばれる。
「奥、一席お願いします」
頷いて歩き出す。
途中で、高槻さんと目が合った。
「また取られた」
大げさに肩を落とす。
「戻りますよ」
「約束?」
「仕事なので」
「またそれ」
笑い声。
そのまま席を離れる。
奥の席。
「失礼します」
私が座ると、その人は少しだけ首を横に振った。
「すみません」
「何がですか?」
「さっき」
私は考える。
さっき。
ああ。
「視線、なんて言ったから」
「気にしてないですよ」
「でも、気にしたでしょう」
否定できなかった。
ほんの少しだけ。
「仕事中は、あまり考えないようにしてます」
「仕事中だから、ですか」
「そうです」
「終わったら?」
私はグラスを持つ手を止めた。
終わったら。
そんなこと、考えたことがあっただろうか。
毎日帰って、お風呂に入って、寝て。
起きて。
また店に来る。
それだけ。
「考える暇、ないですね」
正直に言うと、その人は静かに笑った。
「そういう人なんですね」
「どういう人ですか」
「立ち止まるのが苦手な人」
その言葉は、不思議なくらい抵抗がなかった。
当たっている。
そう思ってしまった。
「名前」
その人が不意に言う。
「まだ名乗ってませんでした」
私は顔を上げる。
「あ」
そういえば。
何度も話しているのに。
名前を聞いていなかった。
「今さらですよね」
私が笑うと、
「今さらだからです」
と返ってきた。
その返事も、少しだけ変わっていた。
今までより。
少しだけ。
距離が近い。
「私はナナです」
仕事の名前。
いつものように名乗る。
その人は頷いた。
「知っています」
少し間を置いて。
「私は――」
そこで。
「失礼します」
黒服がドアを開ける。
「お会計です」
言葉が切れる。
その人は小さく笑った。
「また今度ですね」
「……そうですね」
結局。
名前は聞けなかった。
席を立って、ドアを閉める。
廊下を歩きながら、私は少しだけ振り返った。
気になった。
名前を聞けなかったことが。
それとも。
聞こうとしてくれたことが。
どっちだったのか、自分でもまだ分からなかった。
#角名倫太郎
紫 憂 .
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コメント
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第41話、拝読しました🌷 奥の席のお客さんとの会話、「立ち止まるのが苦手な人」って言葉がすごく胸に残りました。ナナさんが「考える暇、ないですね」って正直に言ったところ、日常に追われて自分と向き合う時間がない感じがリアルで。何度も会ってるのに名前を聞いてなかったって、そういうことあるよなあ……って共感しました。最後に名前が途切れるもどかしさ、たまりません。続きが気になります。