「で、ここからが変なんだよ」
燈がホワイトボードを指で叩いた。
「ここまで聞いた話、全部“起きたこと”は小さい。指摘した、空気が悪くなった気がした、誰かが不安そうだった気がした」
「でも結果は?」
燈は肩をすくめる。
「部署異動。取引停止。噂の固定」
真琴が頷く。
「処分としては重すぎるね」
玲は資料をめくりながら言った。
「普通なら、どこかに“段階”が残る。
注意、指導、改善要求」
「メールでも、議事録でもいい」
「でも、ない」
「“最初から問題の人だった”扱いになってる」
燈が吐き捨てる。
依頼人がいた部署の内部資料。伊藤がまとめていたそれを、玲が確認する。
「評価面談の記録、空白がある。問題があったとされる時期だけ、抜けてる」
「消した?」
真琴。
「違う」
玲は首を振る。
「“作ってない”」
燈が眉をひそめた。
「そんなことある?」
「ある」
玲は淡々と言う。
「最初から“個別対応に値しない”と判断された場合」
「つまり?」
真琴が促す。
「“説明する必要がない存在”として扱われた」
室内が一瞬、静まる。
澪が、控えめに口を開いた。
「噂が広がった順番、整理しました」
机に置かれたメモ。そこには矢印で繋がれた名前が並んでいる。
「最初に“言い方がきつい”と言った人、 次に“怖い”と言った人、最後に“危ないから距離を置くべき”と言った人」
「全員」
澪は続ける。
「直接の被害者じゃない」
「じゃあ誰が?」
「最初の“言い換え”をした人」
澪は指先で一箇所を示した。
「ここ」
「この人だけ」
玲が資料を見比べる。
「評価表を書いてる」
真琴が小さく息を吸った。
「評価、か」
「評価ってさ」
燈が言う。
「一度つくと、事実より強いんだよな」
「説明しなくて済む」 玲。
「確認しなくて済む」 真琴。
「記録もいらない」 燈。
伊藤が、穏やかな声で言った。
「評価は、“共有される前提”で使われるから」
四人がそちらを見る。
「共有されてしまえば」
伊藤は続ける。
「個別の根拠は、必要なくなる」
「……便利だね」
燈が言った。
「ああ」
伊藤は笑った。
「とても」
玲が結論を口にする。
「この件の違和感は、誰かが嘘をついたことじゃない。誰かが消したことでもない。
“記録を作らない判断”が、最初にあった」
「その時点で」
真琴が続ける。
「説明は終わってたんだ」
澪は小さく呟いた。
「だから、探しても出てこない」
「最初から、なかった」
燈が椅子に深く座り直す。
「被害者がいないって言われる理由、分かってきたな」
「でも」
真琴は言う。
「人生は壊れてる」
沈黙。
伊藤が、そっとファイルを閉じた。
「次は、“誰がその判断をしたか”だな」
澪は、その横顔を見たまま、何も言わなかった。






