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徠夢
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噂は、色よりも早く広がる。
王都の街路。
市場の上空に漂う感情は、いつもより濁っていた。
灰色の不安。
鈍い緑の猜疑。
「無色の婚約者が来てからだ」
「星が乱れたのは」
「記録されない光など、前例がない」
言葉は可視化されない。
だが感情は、はっきりと色を帯びる。
王宮内も同様だった。
回廊を歩くエリュネ・ノクシアへ、視線が集まる。
色は向けられるが、言葉は向けられない。
表立ってはまだ、誰も断じない。
だが空気が違う。
「本日より、殿下との同席は最小限に」
侍従長が告げる。
「公務は別々に」
「理由を伺っても」
「憶測の沈静化です」
つまり、距離を置けということ。
「承知しました」
エリュネは頷く。
合理的だ。
彼女が傍にいなければ、因果関係は薄まる。
夜。
観測塔。
王太子は一人で天文盤に向き合っていた。
透明な星は、今夜もある。
だが弱い。
彼が無理に感情を押し殺しているからだ。
「……馬鹿げている」
呟きは誰にも届かない。
彼女と距離を取れば、星は弱まる。
だが完全には消えない。
それが、余計に不安を煽る。
背後で扉が開く。
振り返ると、エリュネが立っていた。
「同席は最小限のはずだ」
「観測協力の範囲内です」
淡々とした声。
彼は一瞬、視線を逸らす。
「……噂は聞いているか」
「はい。私が原因である可能性が高い、と」
「気にしていないのか」
「現段階では仮説です」
彼の金色が、わずかに揺れる。
「君は、怖くないのか」
「何がでしょう」
「排除されることだ」
初めて、はっきりと言った。
排除。
婚約解消。
宮廷からの退去。
「国益のために必要であれば、受け入れます」
即答。
その迷いのなさが、彼を苛立たせる。
「私は受け入れない」
低く。
「殿下のご意思だけでは決まりません」
「分かっている」
拳が握られる。
「だからこそ、距離を取っている」
公的な距離。
彼女を守るための冷淡。
「君と並んでいれば、疑惑は強まる」
「合理的判断です」
「合理、合理と」
感情が滲む。
「君は、自分がどう思われてもいいのか」
エリュネは考える。
どう思われるか。
評価。
色。
「私は、殿下を選び続けると決めました」
静かな声。
「その選択が維持できるなら、評価は副次的です」
彼は目を閉じる。
胸が締めつけられる。
「……君は、本当に残酷だ」
「感情を伴わない発言だからでしょうか」
「違う」
否定が即座に返る。
「君が揺れないからだ」
沈黙。
天文盤の上で、透明な星がわずかに強まる。
彼が揺れたからだ。
「私は、君を疑っていない」
彼は言う。
「だが、国は疑う」
「はい」
「そのとき、私は王として振る舞う」
「はい」
「君を切り離す判断を迫られれば」
言葉が止まる。
金色が濁る寸前まで揺れる。
「……そのときは、私が先に退きます」
エリュネが言う。
彼が顔を上げる。
「私がいなくなれば、殿下は守られる」
「勝手に決めるな」
感情が溢れかける。
透明な星が、強く瞬いた。
「私は」
言葉が詰まる。
王ではない声が出そうになる。
だが彼は飲み込む。
「……今日は戻れ」
命令口調。
「これ以上同席すれば、疑惑が強まる」
「承知しました」
彼女は一礼する。
踵を返す。
扉が閉まる。
その瞬間。
透明な星が、ひときわ強く脈打った。
彼は息を吐く。
「離れても、消えないのか」
孤独な呟き。
距離を取っても。
感情を押し殺しても。
観測されない星は、そこにある。
疑惑は深まる。
そして彼の想いもまた、
誰にも記録されないまま、確かに強くなっていた。