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王宮の庭園は、朝が一番静かだ。
まだ人の気配が少ない時間。
露を含んだ草と、白い石畳が柔らかく光を返している。
エリュネはその中を歩いていた。
特別な理由はない。
ただ、空気が軽いこの時間が好きだった。
「……また一人で出ている」
後ろから声がした。
振り返るまでもない。
王太子だった。
「おはようございます」
エリュネは軽く頭を下げる。
王太子は少しだけ眉を寄せていた。
「護衛は」
「つけていません」
「なぜだ」
即答だった。
エリュネは少し考えてから答える。
「必要ないと思ったので」
「必要だ」
間髪入れずに返ってくる。
エリュネは小さく息をついた。
「ここは王宮の中です」
「だからこそだ」
王太子は言う。
「何が起きるか分からない」
エリュネは彼を見る。
本気で言っている顔だった。
「……心配しすぎでは」
「している」
否定しない。
それどころか、当然のように言う。
エリュネは少しだけ困った顔をした。
王太子はその表情を見て、少しだけ視線を逸らす。
「別に」
彼は言葉を探すように続ける。
「過剰なつもりはない」
「十分に過剰です」
エリュネが静かに返す。
少しの沈黙。
庭園の風が葉を揺らす。
王太子はやがて言った。
「昨日の報告を見たか」
「星の消失ですか」
「ああ」
エリュネは空を見上げる。
朝の空に星はない。
だが、夜のことは覚えている。
「減りましたね」
「だが終わっていない」
王太子の声は低い。
「原因も分からないままだ」
エリュネは頷く。
「不安ですか」
王太子は少しだけ考えた。
「……ああ」
正直だった。
彼は続ける。
「だが、それ以上に」
言葉が一瞬止まる。
エリュネが彼を見る。
王太子は目を逸らしたまま言った。
「お前が無事でいるかの方が気になる」
エリュネは一瞬、言葉を失った。
風の音だけが通り過ぎる。
「私は」
彼女はゆっくり言う。
「そんなに危うく見えますか」
「見える」
即答だった。
王太子は続ける。
「自分で気づいていないだけだ」
「何にです」
「無防備さに」
エリュネは少しだけ眉を寄せる。
「それは」
言い返そうとして、やめた。
王太子の視線は真剣だった。
冗談ではない。
「……では」
エリュネが言う。
「ずっと見ているつもりですか」
王太子は少しだけ間を置いた。
そして言う。
「見ている」
「監視ですか」
「違う」
彼は首を振る。
「選択だ」
エリュネはその言葉に少しだけ目を細めた。
「選択」
「そうだ」
王太子は空を見る。
「星のことは分からない。
なぜ生まれ、なぜ消えるのか。
何一つ確かなことはない」
彼の視線はそのまま続く。
「だが」
少しだけ声が低くなる。
「自分が何を守るかは決められる」
エリュネは何も言わなかった。
王太子は続ける。
「だから見ている。
お前を」
それは命令でも義務でもなかった。
ただの意思だった。
エリュネはしばらく黙っていた。
やがて、小さく息をつく。
「困りましたね」
「何がだ」
「逃げられない」
王太子は少しだけ眉を動かす。
「逃げるつもりだったのか」
「少しだけ」
エリュネは微かに笑う。
王太子はそれを見て、ほんの少しだけ表情を緩めた。
「無理だな」
「そうですね」
二人は並んで歩き出す。
庭園の中をゆっくりと。
護衛はいない。
だが、距離は近かった。
王太子は少しだけ周囲を気にしている。
エリュネはそれに気づいている。
「本当に過保護ですね」
エリュネが言う。
「今さらだ」
王太子は答える。
その声は、少しだけ柔らかかった。
朝の光が庭園を照らす。
空に星はない。
それでも、何かは確かにそこにあった。
名前のつかない関係。
消えないもの。
王太子はそれを、ただ守るように隣を歩いていた。
麗太
海の紅月くらげさん