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相談室に入ってきたその人は、今日はすぐに椅子に座った。
鞄を足元に置き、背もたれに体を預ける。
「……別に、落ち込んでるわけじゃないんだけど」
そう前置きしてから、少し間を置く。
「成長してる気がしない」
日下部は、視線だけを向ける。
「何年も経ってるのに?」
「うん」
相談者は天井を見上げた。
「前よりマシになったことは、たぶんある」
「たぶん、か」
「でも、“進んでる”感じがしない」
言葉を選ぶように、ゆっくり続ける。
「去年の自分と、そんなに変わってない気がして」
「同じ失敗?」
「似たようなことで、同じように悩んでる」
日下部は腕を組まず、机に手を置いた。
「成長って、何だと思ってる」
「……強くなること」
「具体的には」
「平気になること」
相談者は即答した。
「気にしなくなるとか、傷つかなくなるとか」
日下部は、少しだけ眉を寄せる。
「それ、成長じゃなくて」
一拍。
「鈍感化じゃないか」
相談者が、きょとんとする。
「成長したら、楽になるんじゃないの?」
「楽になる部分もある」
淡々と返す。
「でも、感じなくなるとは限らない」
日下部は少し椅子にもたれた。
「前と同じことで悩んでるって言ったな」
「うん」
「前と同じ“深さ”か?」
その質問に、言葉が止まる。
「……分かんない」
「じゃあ、比べる」
日下部は静かに続けた。
「前は、その悩みの中で何日止まってた」
「……結構」
「今は?」
少し考える。
「前よりは、短い」
「それ」
日下部は短く言った。
「成長だ」
相談者は、すぐに納得しない顔をする。
「でも、まだ悩んでる」
「悩むこと自体は、なくならない」
「じゃあ、何が変わるの」
日下部は少し考えてから答えた。
「回復の速さ」
「回復?」
「立ち直り方とか、抜け方とか」
相談者は視線を落とす。
「そんなの、地味すぎる」
「成長は、だいたい地味だ」
即答だった。
「派手なのは、変化」
「……違うの?」
「変化は一瞬で起きる」
日下部は指で机を軽く叩く。
「成長は、後から振り返らないと分からない」
相談者は、黙って聞いている。
「今さ」
日下部は続ける。
「“成長してない”って言えるってことは」
「うん」
「前の自分を、ちゃんと覚えてるってことだ」
「……」
「それも、成長だ」
相談者は小さく息を吐いた。
「成長してる人って、もっと自信ありそうなのに」
「それはイメージ」
日下部は肩をすくめる。
「実際は、“足りない”って思い続けてる人の方が多い」
少し間を置いて、付け足す。
「足りないって思えるのは」
「……」
「前より、見える範囲が広がったからだ」
その言葉に、相談者の表情がわずかに緩む。
「じゃあさ」
「ん」
「成長してる実感がなくても
生きてりゃ、進んでる?」
日下部は、少しだけ考えてから答えた。
「少なくとも」
一拍。
「止まってはない」
相談室の外で、下校のチャイムが鳴る。
「成長って」
日下部は静かに言った。
「自分に厳しくなりすぎた人ほど、気づきにくい」
その言葉は、慰めじゃなかった。
でも、否定でもなかった。