相談室のドアは、今日はノックがなかった。
少しだけ開いて、様子をうかがう気配がしてから、人が入ってくる。
「……今、いい?」
「空いてる」
日下部はそう言って、机の上のプリントを脇に寄せた。
相談者は椅子に座るまでに、少し時間がかかった。
立ったまま、視線を落としたまま。
「学校、行ってない」
前置きもなく、そう言った。
「何日?」
「……分かんない」
日下部は聞き返さなかった。
数を把握してない時点で、十分だった。
「最初はさ」
相談者は、床を見たまま続ける。
「一日だけ、休むつもりだった」
「よくある」
「熱もあったし、理由もあったし」
指先が、制服のポケットを握る。
「でも次の日、朝になったら」
一拍。
「行けなくなった」
「体?」
「……体も、頭も」
日下部は頷く。
「行こうとすると?」
「玄関で止まる」
「靴は?」
「履ける。でも、その先が無理」
沈黙が落ちる。
日下部は、急がない。
「サボりだって思ってる?」
相談者は、小さく頷いた。
「周りはそう言わないけど」
「自分が?」
「うん」
日下部は椅子にもたれる。
「じゃあ聞く」
「……」
「戻りたい?」
その質問に、相談者は詰まった。
「……行きたい、とは思う」
「でも?」
「“戻る”のが、怖い」
その言葉は、震えていなかった。
だからこそ、重かった。
「何が一番引っかかってる」
「何事もなかった顔を、しなきゃいけないこと」
日下部は目を細める。
「説明?」
「うん」
「聞かれるのが嫌?」
「聞かれないのも、嫌」
少しだけ、笑う。
「どっちでも、詰む」
日下部は、軽く息を吐いた。
「不登校ってさ」
相談者を見る。
「“行きたくない”より、“戻れない”の方が多い」
「……」
「一回止まると、前の位置に戻るのがきつい」
相談者は、黙って頷いた。
「周りは進んでるしな」
「はい」
「席も、空気も、時間も」
一拍置く。
「全部、自分抜きで更新されてる」
その言葉に、喉が小さく鳴る。
「だから」
日下部は続ける。
「行けない自分を、怠けで片付けると楽になる」
「……」
「理由が一個で済むから」
相談者は、視線を上げた。
「じゃあ、本当は?」
日下部は少し考えた。
「止まらざるを得なかった」
「……」
「でも、止まった理由を」
一拍。
「まだ言葉にできてない」
相談室に、静かな時間が流れる。
「……このまま、ずっと行けなかったら」
相談者の声が、少し低くなる。
「終わり?」
日下部は、即答しなかった。
「終わりって、何だ」
「普通の人生」
日下部は、少し困ったように眉を寄せる。
「それ、誰の基準だ」
「……分かんない」
「少なくとも」
静かに言う。
「今は、“終わり”を決める時期じゃない」
「じゃあ、何の時期」
「止まった理由を、探す時期」
相談者は、ゆっくり息を吐く。
「行けない自分、嫌いなんだけど」
「分かる」
短く答える。
「でもな」
一拍。
「嫌いなままでも、ここには来れてる」
「……」
「それ、完全に止まってはいない」
相談者は、少しだけ肩の力を抜いた。
「明日、行かなきゃダメ?」
日下部は、首を横に振る。
「“行けるか”より」
視線を合わせる。
「“戻る準備が何か”を考えろ」
「準備?」
「説明しない選択肢も含めてな」
相談室の外で、誰かの笑い声がした。
「不登校って」
日下部は最後に言った。
「逃げじゃなくて、ブレーキなこともある」
相談者は、その言葉を、しばらく噛みしめていた。






