夕方の光が、廊下をゆっくりと染めていた。
ガラス窓の向こうに沈む太陽が、まるで一日の終わりを告げるように赤く滲んでいる。
「失礼します」
小さな声がドアの向こうからした。
蓮司は机の上でペンを回しながら、軽く顎を動かした。
「入れよ」
ドアが開く音。
入ってきたのは、制服のボタンを一つ外したままの少年だった。
顔はどこか眠たげで、けれど目の奥だけが落ち着かず揺れている。
「……笑い方が、わかんなくなったんです」
開口一番、少年はそう言った。
蓮司は一瞬、ペンを止めた。
「どういう意味だ?」
「みんなが笑ってるとき、一緒に笑うんです。でも……なんか、自分の顔が他人みたいで。
“楽しい”って思うより、ちゃんと笑えてるか気になって。
なんか、ずっと外から自分を見てる感じで……気持ち悪いんです」
少年の声は乾いていた。
まるで、言葉を吐くたびに自分の輪郭が少しずつ薄れていくように。
蓮司は少しだけ身を乗り出し、机に肘をついた。
「“楽しいふり”がうまくなった、ってことか」
「……はい。誰かに見られてる気がして、つい笑っちゃう。
でも、本当は何が楽しいのか分からなくて……。
気づいたら、笑うのが怖くなってて」
窓の外では、風が木々を揺らしている。
教室の隅に溜まった夕焼けの光が、少年の頬を赤く染めた。
蓮司は小さく息を吐く。
「“笑えなくなった”ってのは、悪いことじゃない。
それだけ、ちゃんと“本当”を見てる証拠だろ」
「……本当?」
「ああ。
無理に笑えるやつのほうが、案外ごまかしてる。
何も感じないふりしてるだけだ。
お前はそれをちゃんと気づいた。
笑えないってことは、まだ“感じようとしてる”ってことだ」
少年は顔を上げた。
その瞳の奥に、わずかに光が揺れた気がした。
「……でも、疲れます。ずっと“平気”な顔してるの」
蓮司は少し笑った。
「人間、平気な顔してる間が一番ギリギリだ。
でもな、どんなに無理しても、顔のどこかに“本音”ってのは出るもんだ。
だから――笑えなくてもいい。
その分、ちゃんと生きてるってことだろ」
少年は小さく頷いた。
窓の外、夕陽が沈みかけている。
光が消える前の一瞬、教室の中に赤い輝きが差し込んだ。
蓮司は視線を外にやりながら、ぼそりと呟く。
「無理に笑うな。……本当に笑える時まで、顔は預けとけ」
少年は驚いたように蓮司を見た。
蓮司は軽く手を振り、ペンをまた指に挟む。
「帰れ。そろそろ日が暮れる」
教室を出ていく少年の背中を、赤い光が包みこんでいた。
その表情には、ほんの少しだけ――
確かに“温度”が戻っていた。







