テラーノベル
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放課後。
教室の空気はぬるくて、音が少ない。
ドアはノックなしで開いた。
「……ちょっといい」
「いい」
日下部は顔を上げない。
入ってきた生徒は、椅子を引いて座るまでが妙に早かった。
迷っていない動き。
「俺さ」
言いかけて止まる。
「好かれてはいると思うんですよ」
「うん」
「嫌われてはない」
机の上に視線を落とす。
「でも」
少しだけ、息が詰まる。
「自分が好かれてる感じ、しない」
日下部はすぐに聞き返さない。
数秒置いてから、
「どう違う」
とだけ言う。
「“聞いてくれる人”としては好かれてる」
淡々と続く。
「“便利な人”としても」
笑う。
「相談されるし、
呼ばれるし、
一緒にいて安心するって言われる」
そこで、声が少し低くなる。
「でも、それ、
俺じゃなくてもよくないですか」
沈黙。
「俺がいなくても、
同じ役できる人いれば、成立する」
日下部は机に指を置いたまま言う。
「役割、ちゃんとやってるな」
「やってますよ」
即答だった。
「だから外れない」
短く笑う。
「でも、
俺がいなくなったら困る、
って感じもしない」
日下部は視線を上げる。
「困られたいのか」
「……違う」
間。
「でも、
代わりがいるの、分かるの、
ちょっと虚しい」
静かに本音が落ちる。
窓の外で風が鳴る。
「役割を好かれてるって、
悪いことじゃない」
日下部は言う。
「安定してる」
「安定してるの、分かってます」
「でも」
「自分がいなくても成立する関係って、
薄い気がして」
日下部は少し考える。
「自分、出してるか」
短い問い。
「……出してますよ」
「役割じゃなく」
生徒は黙る。
「聞く側じゃなくて、
聞かれる側になったこと」
「……あんまない」
「便利じゃない瞬間」
「作ってない」
答えは小さい。
日下部は軽く息を吐く。
「役は、
出してる分だけ固定される」
「固定」
「便利でいる限り、
便利な人になる」
淡々。
「外れるの、怖いだろ」
「怖いです」
「じゃあ今の位置になる」
当たり前みたいに言う。
しばらく沈黙。
「……自分を出したら、
嫌われるかもしれない」
「かもな」
あっさり。
「役割、剥がれたら」
「それで離れるなら」
一拍。
「最初から役しか見てない」
教室が静かになる。
「……きつ」
「うん」
日下部は目を逸らさない。
「役を好かれるの、
楽なんだよ」
「楽?」
「期待が分かる」
短い説明。
「でも、
自分を出すと、
分からなくなる」
生徒は椅子の背にもたれる。
「じゃあどうすれば」
「一回だけ、
役を外せ」
「一回」
「全部じゃなくていい」
机を軽く叩く。
「今日は聞かない、とか」
「それで空気変わったら」
「変わるだろ」
「……」
「そこで残るやつが、
お前を見てる」
静か。
「残らなかったら」
「役だった」
断言しない。
ただ置く。
生徒は立ち上がる。
「怖いですね」
「だろうな」
「でも」
少しだけ笑う。
「ちょっとだけ、やってみます」
「全部やるな」
「一回だけ、ですよね」
「一回でいい」
ドアの前で止まる。
「俺がいなくても成立する関係って、
やっぱ虚しいですよ」
日下部は窓の外を見る。
「成立するのと、
代わりがいるのは、違う」
生徒は振り返る。
「どう違うんですか」
「お前が抜けたあとに、
空気が少しでも変わるなら」
一拍。
「それは、お前がいた証拠」
生徒は何も言わずに出ていった。
教室には、
役割のない静けさだけが残った。
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