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最初に変わったのは、命令の仕方だった。
以前は「お願い」に近かった。
「凪、買い物行ける?」
「ノート借りていい?」
そんな言い方だった。
それが、少しずつ変わる。
「凪、行ってきて」
「凪、それ取って」
言葉が短くなる。
理由は特にない。
ただ、そういう言い方でも凪が動くことを、みんなが知ったからだった。
ある日の夕方、講義が終わったあと。
学食の奥の席に、いつものメンバーが集まっていた。
凪は少し遅れて来た。
テーブルに近づくと、蒼が手を上げる。
「おせえ」
凪は軽く頭を下げる。
「ごめん」
席に座ろうとしたとき、誰かが言う。
「凪」
振り向く。
男が指で床を指した。
「ペン落とした」
凪はしゃがむ。
床に落ちていたボールペンを拾う。
男に渡す。
「ありがと」
それだけ。
でも、隣の女が言う。
「私も」
スプーンを床に落とす。
わざとらしい音がする。
凪はまたしゃがむ。
拾って渡す。
女は笑う。
「優しいね」
周りから小さく笑いが起きる。
その日から、そういうことが増えた。
落とす。
呼ぶ。
取らせる。
最初は偶然みたいに始まる。
でも、少しずつ分かる。
偶然じゃない。
みんな、凪が拾うのを見ている。
蒼はいつも近くにいた。
椅子に座って、スマホを見ている。
会話を聞いている。
笑うこともある。
でも、止めない。
一度だけ、凪が蒼を見ることがあった。
スプーンを拾ったあとだった。
蒼と目が合う。
蒼は少し笑った。
「気にすんな」
誰に言ったのか分からない言葉だった。
でも、その言葉で空気が軽くなる。
笑い声が戻る。
凪も笑う。
それで終わる。
別の日。
購買の前。
五、六人で立っていた。
誰かが言う。
「凪」
振り向く。
「走ってきて」
少し遠くの自販機を指す。
「水」
凪は頷く。
走る。
戻る。
息が少し上がっている。
ペットボトルを渡す。
「早いじゃん」
笑う声。
凪も少し笑う。
蒼が言う。
「犬みたいだな」
それを聞いて、誰かが言う。
「ほんとだ」
「呼んだら来る」
笑いが広がる。
蒼はそれを聞きながら、ペットボトルの水を一口飲む。
「まあ」
それだけ言う。
その頃には、誰も気にしていなかった。
凪が何をしているのか。
なぜしているのか。
それは、もう説明することでもなかった。
ただ、そういう空気ができていた。
呼べば来る。
言えばやる。
凪はそういう存在だった。
そして、その空気の中心にいつも蒼がいた。
蒼がいるときだけ、みんなは安心して笑った。
誰も、それを止めなかった。
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