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その日、凪は珍しく遅れた。
講義が長引いたのと、スマホの充電が切れていた。
それだけのことだった。
でも、学食に入った瞬間、空気が少し違うのが分かった。
奥のテーブルにいつものメンバーがいる。
凪が近づくと、誰かが言った。
「遅い」
笑い声はなかった。
凪は軽く頭を下げる。
「ごめん」
女の一人が言う。
「パン」
凪は一瞬止まる。
「え?」
男が言う。
「購買」
そこで、凪は気づいた。
まだ行っていない。
いつもなら、講義が終わった時点で買いに行く。
今日は行っていない。
凪は言う。
「今行く」
椅子を引く。
でも、蒼が言った。
「もういい」
声は平坦だった。
凪は立ったまま止まる。
女が笑う。
「遅いんだもん」
別の男が言う。
「腹減ったわ」
それから、凪を見る。
「どうする?」
凪は少し考える。
「……今からでも」
男は首を振る。
「もう食った」
テーブルの上には空の袋がいくつかあった。
凪は立ったまま、どうしていいか分からない。
沈黙が数秒続く。
誰かが言う。
「罰な」
軽い声だった。
女が言う。
「そうだね」
テーブルの下を指す。
「そこ」
凪はしゃがむ。
床を見る。
「何すればいい?」
男が笑う。
「考えろよ」
蒼はグラスの氷を揺らしている。
何も言わない。
凪は床に手をつく。
しばらくそのまま動かない。
その姿を見て、誰かが笑う。
「もう犬じゃん」
蒼がぼそっと言う。
「最初からだろ」
小さな笑いが広がる。
凪はそのまま、テーブルの下にいた。
それから、失敗は「罰」がつくようになった。
最初は軽いものだった。
走らされる。
飲み物を一気に飲まされる。
買い出しを二往復させられる。
でも、回数が増えると、少しずつ変わる。
ある日、凪はレポートの印刷を間違えた。
ページの順番が逆だった。
それだけだった。
でも、女が言った。
「使えない」
笑い声はなかった。
凪はすぐ言う。
「ごめん」
女はレポートを机に叩きつける。
「やり直し」
凪は頷く。
紙を集める。
そのとき、男が言う。
「待って」
レポートを一枚取る。
紙を丸める。
凪の方へ投げる。
「取れ」
凪は反射的に手を出す。
落とす。
笑い声が上がる。
「遅い」
もう一枚。
今度は取る。
男は笑う。
「お。やればできるじゃん」
紙は全部投げられた。
凪は全部拾った。
それを見て、蒼が言う。
「もう一回印刷してこい」
凪は頷く。
「うん」
別の日。
夜の店。
テーブルの上にグラスが並んでいた。
誰かが言う。
「凪」
凪は顔を上げる。
「飲める?」
凪は少し迷う。
「少しなら」
男は笑う。
「じゃあ」
ショットグラスを三つ並べる。
「ミスした分」
凪は言う。
「ミス?」
女が笑う。
「さっきさ」
スマホを見せる。
「呼んだのに既読つくの遅かった」
凪は言葉を失う。
でも、グラスを取る。
一つ飲む。
喉が焼ける。
二つ目。
少しむせる。
三つ目。
飲み終わると、周りから拍手が起きる。
「いいじゃん」
「強い」
凪は少し笑う。
蒼はそれを見ながら言う。
「慣れてきたな」
その頃には、もう誰も遠慮していなかった。
凪が何をするか。
どこまでやるか。
それはもう試すものでもなかった。
ただ、前提だった。
やるのが当たり前。
できないときだけ、問題になる。
そして、凪はほとんど失敗しなかった。
失敗すると、痛いからだった。
だから、凪はいつも笑っていた。