テラーノベル
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決定的な何かが起きたわけじゃない。
宣言も、通達も、ない。
それでも――
「あ、段階が変わったな」と分かる朝がある。
その日が、そうだった。
教室に入った瞬間、
空気の密度が違った。
静か、ではない。
むしろいつも通り、ざわついている。
でも、
自分に向かってくるものが一段階減っている。
減っているのに、楽じゃない。
無視ではない。
排除でもない。
――その中間。
“触っても問題ない対象”として、
扱いが固定された感触。
席に座る前に、机が少しずれているのに気づく。
椅子も、わずかに後ろ。
座ると、足元に何か当たる。
消しゴムのカス。
紙の切れ端。
わざと落とされたらしい小さなもの。
拾わない。
拾うと、反応になる。
座る。
後ろから声。
「そこ座るの、まだ慣れない?」
笑い声。
振り返らない。
返事もしない。
慣れている。
むしろ、
何も言われない方が不安になるくらいには。
黒板の方を見る。
授業が始まるまでの数分。
誰も話しかけない。
でも、視線はある。
露骨じゃない。
でも、確実に。
「なぁ」
横から声。
別に、用事がある声じゃない。
確認の声。
「まだ来てんだ」
軽い口調。
遥は答えない。
「来なくてもよくね?」
前の席の誰かが笑う。
「でも来るんだよな」
「すげーよな」
「メンタル」
笑いが広がる。
でも、爆笑じゃない。
“もう前提”の笑い。
遥はノートを開く。
シャーペンを出す。
手は震えない。
震えなくなって、ずいぶん経つ。
ただ、
指先の感覚が少し遠い。
授業が始まる。
教師は何も言わない。
当てられることもない。
板書も見ない。
完全に無視、ではない。
出席は取られる。
名前も呼ばれる。
でも、それだけ。
存在は確認される。
人としては扱われない。
昼休み。
席を立つと、
机が少し揺れる。
誰かが足を引いた。
転ばない。
慣れている。
「おっと」
「危な」
笑い。
遥は何も言わず、教室を出る。
廊下。
すれ違いざまに、
肩がぶつかる。
わざと。
でも強くはない。
強くしないのが、今の段階。
壊すためじゃない。
削るため。
階段の踊り場で、
誰かの声が聞こえる。
「まだいるんだな」
「しぶと」
「そのうち消えるだろ」
「まぁ、時間の問題」
足が止まりかける。
止めない。
進む。
止まったら、
聞いていることになる。
聞いていないふり。
昔からの癖。
でも、
全部聞こえている。
購買の前。
並ぼうとして、
列が少し動く。
空いたはずの隙間が、
さりげなく閉じる。
「ごめん、ここ詰まってる」
笑顔。
でも、入れない。
後ろに回る。
また閉じる。
三度目で、やめる。
買わない。
戻る。
別に、空腹で倒れるほどじゃない。
教室に戻ると、
誰かが言う。
「飯、食わねーの?」
「ダイエット?」
笑い。
遥は席に座る。
鞄から水だけ出す。
飲む。
それでいい。
十分、慣れている。
放課後。
教室が少し空いてきた頃。
背後で、誰かが言う。
「まだ帰んねーの?」
返事しない。
「帰るとこ、あんの?」
小さな笑い。
別の声。
「ここも別に、いていい場所じゃないけどな」
その言葉に、
誰も反応しない。
否定も、しない。
遥は立ち上がる。
帰る。
廊下を歩く。
背中に視線。
声。
笑い。
全部、いつも通り。
ただ一つ違うのは――
もう、遠慮がない。
嫌う理由も、
からかうきっかけも、
探さない。
ただ、
“いなくていい前提”で扱う。
それが、
今日からの段階。
驚きはない。
ショックもない。
ただ、
一つだけ分かる。
(ああ)
(ここから、長いな)
そう思って、
歩き続ける。
止まらない。
止まったら、
本当に終わる気がするから。