テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
政略上、仲睦まじく見せる必要がある。
そのための夜会だった。
王太子の隣に立つエリュネ・ノクシアへ、幾重もの視線が注がれる。
貴族たちの色が揺れる。好奇、嫉妬、打算。
「手を」
小さな声で、彼が言う。
公の場だ。
エリュネは素直に右手を差し出す。
触れた瞬間、周囲の金色が一斉に強まる。
理想の婚約者像が補強される。
だが、彼の金色だけが違った。
揺れた。
大きく、深く。
握る力が、わずかに強い。
「……痛いです」
「ああ」
すぐに緩む。
エリュネの色は、変わらない。
無色のまま。
それが、彼には分かっている。
「君は、何も感じないのか」
笑みを浮かべたまま、囁く。
「今の接触に関してですか」
「ああ」
「必要な演出だと認識しています」
合理的な返答。
彼は一瞬、視線を伏せる。
「そうか」
夜会の中央で、音楽が鳴る。
形式的な舞踏。
「一曲、付き合ってくれ」
「命令ですか」
「……頼みだ」
わずかな言い直し。
エリュネは頷く。
踊りの距離は近い。
肩に置かれた手の温度。
腰に触れる指先。
彼の金色は、静かに乱れている。
「君は、怖くないのか」
「何がでしょう」
「私が、君に何かを期待しているかもしれないことが」
音楽に紛れる低い声。
「期待は合理性を損なう場合があります」
「分かっている」
苦い笑み。
「だが、抑えきれないものもある」
エリュネは彼の胸元を見上げる。
そこに広がる金色は、これまで見たどの記録よりも静かで、しかし濃い。
「殿下は、私を愛しているのですか」
直截な問い。
彼の足が、わずかに乱れる。
「……愛、か」
言葉を探す沈黙。
「君は、愛を定義できるか」
「できません」
「私もだ」
音楽が終わる。
周囲から拍手が起こる。
完璧な王太子と王妃候補。
理想的な一対。
だが彼の掌は、まだ彼女を離さない。
「私は、君が何も感じないと知っている」
「はい」
「それでも、隣にいてほしいと思う」
初めて、金色が揺れを隠さない。
「それは非合理です」
「承知している」
彼はようやく手を離す。
「だが、私は王になる前に、一人の人間だ」
その言葉は、観測者ではない声だった。
夜会が終わり、回廊へ戻る。
静寂。
「先ほどの発言は、公的なものではありません」
エリュネが言う。
「分かっている」
「私は殿下を愛せません」
事実確認。
彼は立ち止まる。
「知っている」
それでも。
「それでも、私は期待してしまう」
視線がぶつかる。
彼の金色は、今やはっきりと濃い。
「君が、私を選び続けると言ったとき」
観測塔での言葉。
「胸が、締めつけられた」
エリュネは思い出す。
あのときの微細な振動。
遠くで瞬いた透明な光。
「それは、愛でしょうか」
「分からない」
正直な答え。
「だが、私は君を失いたくない」
初めての、明確な欲求。
エリュネの胸に、またあの微細な振動が走る。
痛みではない。
熱でもない。
だが確実に、何かが動く。
同時に、夜空の一角で。
透明な光が、強く脈打った。
王太子も気づく。
「……まただ」
窓越しに見る無色の明滅。
「君が揺れたとき、強まる」
「私は揺れていません」
「今、揺れた」
断言。
エリュネは胸に手を当てる。
確かに、先ほどより鼓動が速い。
だが色は出ない。
「私は、君に色を求めない」
彼は静かに言う。
「ただ、隣にいてくれ」
それは告白に近い。
だが告白ではない。
彼女は考える。
愛せない。
だが、離れたくもない。
「私は、殿下を選びます」
いつもと同じ言葉。
しかし今夜は、わずかに間があった。
その刹那。
空の透明な光が、これまでで最も強く輝いた。
色はない。
記録もされない。
だが、確かに。
王太子の想いは、夜空に応答されていた。