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ゆぴ
67
ドアを開けた瞬間だった。
「遅い」
声が飛んできた。
遥の肩が僅かに強張る。
リビング。
晃司がソファに座っていた。
テレビはついている。
けれど見てはいない。
遥を見ていた。
「……ごめん」
反射みたいに言葉が出る。
「何時だと思ってる」
「……」
「聞いてんだけど」
「学校」
「学校?」
晃司が鼻で笑う。
「便利な言葉だな」
遥は黙る。
何を言っても正解はない。
知っている。
リビングには沙耶香もいた。
テーブルで雑誌を読んでいる。
けれどページはほとんど進んでいない。
視線だけが時々こちらへ向く。
「最近遅いよね」
沙耶香が言った。
「別に」
「別に、か」
面白そうに笑う。
「前はもっと真っ直ぐ帰ってたのに」
遥の胃が重くなる。
嫌な流れだった。
こういう時は大抵。
もう誰かが何かを知っている。
「学校楽しい?」
沙耶香が続ける。
「……普通」
「ふーん」
その返事だけで。
何故か全員が笑った。
遥は意味が分からない。
分からないのに。
背筋だけが冷える。
その時。
階段から足音がした。
怜央菜だった。
「おかえり」
柔らかい声。
優しい声。
外で聞けば誰も疑わない。
けれど遥は知っている。
その声が安全を意味しないことを。
怜央菜は遥の前まで来る。
そして。
制服の襟を整えるみたいな仕草で肩を払った。
「最近顔変わったね」
遥の呼吸が止まりそうになる。
「……何が」
「何だろ」
怜央菜が笑う。
「少し楽しそう」
晃司が小さく笑った。
沙耶香も。
その空気だけで十分だった。
遥は理解する。
何かが始まっている。
「違う」
思わず言った。
「違う?」
怜央菜が首を傾げる。
「何が?」
言葉が詰まる。
違う。
けれど何が違うのか説明できない。
その沈黙を。
後ろから聞いていた声が割った。
「まぁ」
颯馬だった。
いつの間にか階段の途中に立っている。
「最近分かりやすいのは本当だけどな」
遥の喉が固くなる。
「前はもっと死んだ顔してた」
「……」
「今も大概だけど」
笑う。
リビングの空気も少し緩む。
それが余計に嫌だった。
皆が同じものを見ている。
自分だけが見世物みたいだった。
「学校で何かあった?」
怜央菜が聞く。
「ない」
「へぇ」
「ない」
「そう」
誰も信じていない。
最初から。
誰も。
晃司が立ち上がった。
「飯」
短く言う。
「食うなら来い」
命令だった。
遥は頷く。
席につく。
食事が始まる。
誰も怒鳴っていない。
誰も手を上げていない。
それなのに。
遥の胃はずっと縮んでいた。
「学校どう?」
「友達いるの?」
「最近誰といるの?」
「楽しい?」
食事の間。
何度も同じような言葉が飛ぶ。
どれも普通の会話に聞こえる。
けれど。
遥には分かる。
答えを求めているんじゃない。
反応を見ている。
どこで表情が動くか。
何に反応するか。
何を隠そうとするか。
それを見ている。
食事が終わる頃には。
遥はほとんど味を覚えていなかった。
席を立つ。
部屋へ戻ろうとする。
「遥」
呼ばれる。
振り返る。
颯馬だった。
「何」
「別に」
そう言いながら。
颯馬は笑った。
「その顔、しばらく見てようと思って」
遥は何も言わない。
言えない。
颯馬は満足そうに笑う。
まるで。
何かが壊れる瞬間を待っているみたいに。
遥は視線を逸らした。
部屋へ向かう。
背中に視線が刺さる。
家に帰ってきたはずなのに。
どこにも逃げ場はなかった。
コメント
1件
うわ…読んでて胸がぎゅってなった。晃司さんたちの「普通の会話」が、全部探り合いで監視みたいになってる感じが怖すぎる。特に怜央菜の「顔変わったね」のところ、優しい声なのに刃物みたいでゾッとした。颯馬の最後の台詞も含めて、この家に安らぎがひとつもないのが辛い。遥くん、どこにも逃げ場なくて苦しいね…。続き、ちゃんと見届けたい。