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玄関の鍵が回る音で、凪は目を覚ました。
夜。
スマホを見ると、二時すぎ。
静かなワンルームに、足音が入ってくる。
冷蔵庫のドアが開く音。
「……なんもねえ」
低い声。
凪は布団の中から声を出す。
「蒼?」
「起きてたのか」
蒼が振り向く。
Tシャツにジーンズのまま、だるそうに冷蔵庫を閉める。
「腹減った」
凪は起き上がる。
「今作る」
眠気でふらつきながら台所に立つ。
卵が二個。
キャベツ。
少し残ったソーセージ。
フライパンを火にかける。
蒼は後ろのソファに倒れ込み、スマホをいじっている。
凪は背中越しに聞く。
「今日は大学?」
「行ってねえ」
「そっか」
それ以上聞かない。
聞くと、面倒そうな顔をされることがある。
それは少しだけ悲しいから。
卵を割る。
油がはねる。
凪は少しだけ笑う。
この部屋は普段、とても静かだ。
大学。
バイト。
帰宅。
課題。
それだけの生活。
でも蒼が来る夜だけ、この部屋は少しだけ 人の家みたいになる。
皿を置く。
「できた」
蒼が体を起こす。
「お」
箸を取って食べ始める。
「うま」
凪は小さく笑う。
「よかった」
蒼はあっという間に食べ終える。
皿をテーブルに置きながら言う。
「凪」
「ん?」
「金ある?」
凪は少しだけ考える。
「いくら」
「三万」
凪は財布を開く。
中を見る。
今日、大学の先輩の飲み会で、まとめて払ったばかりだ。
残りは多くない。
でもすぐ言う。
「いいよ」
蒼は普通に受け取る。
「助かる」
凪は笑う。
頼られるのは、嫌じゃない。
蒼は立ち上がる。
「風呂借りる」
「どうぞ」
蒼は慣れた様子で浴室に向かう。
この部屋の鍵も、蒼は持っている。
いつ渡したのか、凪は覚えていない。
たぶん、蒼が勝手に持っていった。
でも凪は聞かなかった。
「なんで?」
なんて聞いたら、蒼が困るかもしれない。
それなら別にいい。
シャワーの音が聞こえる。
凪はテーブルを拭く。
そのとき、蒼のスマホが光った。
通知。
沙希♡
凪は視線をそらす。
蒼には彼女がいる。
昔からそうだった。
高校のときも、彼女が途切れなかった。
凪は特に何も思わない。
蒼はそういう人だ。
シャワーの音を聞きながら、ふと思い出す。
高校の教室。
笑い声。
「凪ってさ、犬じゃね?」
誰かが言った。
笑いが広がる。
紙を丸めて作ったリード。
首にかけられる。
「お手」
凪は手を出す。
「伏せ」
床に手をつく。
スマホのカメラが向く。
「やば、マジでやった」
みんな爆笑する。
凪も笑う。
笑わないと、空気が変になる。
それは嫌だから。
でも。
一人だけ、笑わないやつがいた。
蒼。
蒼は教室の後ろで壁にもたれていた。
止めない。
助けない。
ただ、笑わない。
それだけで凪は思った。
(普通の人だ)
シャワーが止まる。
蒼が出てくる。
タオルで髪を拭きながら言う。
「なあ凪」
「ん?」
「今日、彼女と喧嘩した」
「そうなんだ」
蒼はソファに倒れる。
「めんどくせえ」
凪はコップにお茶を入れる。
蒼に渡す。
蒼はそれを飲む。
沈黙。
凪はこの沈黙が嫌いじゃない。
蒼が突然言う。
「凪」
「ん?」
「お前ほんと犬みたい」
凪は少し考える。
それから笑う。
「そう?」
「うん」
凪は窓を見る。
夜の街は静かだ。
それから言う。
「でもさ」
「ん?」
「犬って」
少しだけ考えて言う。
「帰ってくる人好きじゃん」
蒼は一瞬だけ黙る。
凪は気づかない。
凪は普通に言う。
「蒼」
「ん」
「また来ていいよ」
蒼は肩をすくめる。
「鍵あるし」
凪は笑う。
「そっか」
凪は思う。
この部屋に誰かが帰ってくる。
それだけで十分だ。