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面会室は、思っていたよりも狭かった。透明な仕切りが中央に立ち、空間を二つに分けている。
触れられない距離。
だが、声だけは、遮られずに通る。
真琴は、席に着いた。
特別な動作はない。
ただ、目の前にある“向こう側”を見た。
黒瀬は、すでにそこにいた。
檻の中にいるはずなのに、姿勢は崩れていない。
手錠も、鎖も、ここでは見えない。
それでも、自由でないことだけは、はっきり伝わってくる。
「……来ると思ってなかった」
声は低く、感情が薄い。
驚きも、拒絶もない。
「私もです」
真琴は、正直に答えた。
「でも、会わないまま終わるのは、違う気がして」
黒瀬は、小さく目を伏せた。
「終わらせに来た?」
「いいえ。 今日は」
真琴が言う。
「あなたに、確認しに来ました」
「確認?」
「ええ」
真琴は、視線を逸らさない。
「あなたが、何を知っていたのか。
そして、なぜ黙ったのか」
黒瀬は、しばらく黙っていた。
否定もしない。
問いを遮りもしない。
「……全部、調べたんだな」
「全部ではありません」
真琴は、正直に言った。
「でも、“使われなかった真実”があったことは、分かりました」
黒瀬の表情が、ほんの一瞬だけ変わる。
それは、悔しさでも安堵でもない。
――確認。
真琴は、少しだけ言葉を選ぶ。
「あなたが、何を“選ばなかった”のか」
黒瀬は、しばらく黙った。
その沈黙は、取調べのものとは違う。
拒否でも、防御でもない。
「……大した話じゃない」
黒瀬は言った。
「言えば、崩れると思っただけだ」
「事件が?」
「人が」
真琴は、視線を逸らさなかった。
「久我さん、ですね」
黒瀬の表情は、ほとんど動かなかった。
だが、肯定も否定もしない沈黙が落ちる。
「あなたが黙れば、あの人は“選ばなくて済む”」
黒瀬は、静かに続けた。
「選ばなければ、壊れない。
壊れなければ、生き残る」
それは、責める言葉ではなかった。
評価でもなかった。
ただの事実。
「……あなたは」
真琴は、息を吸う。
「それでいいと思った?」
「思った、というより」
黒瀬は、少しだけ笑った。
初めて、感情に近い表情だった。
「それしか、なかった」
「私は」
声が、わずかに震える。
「あなたの選択を、正しいとは言いません」
黒瀬は、何も言わない。
「でも」
真琴は、はっきり言った。
「無意味だったとも、思わない。
久我さんのことも」
真琴は続ける。
「あなたが、彼を“選ばせなかった”ことも」
黒瀬は、ゆっくり息を吐いた。
「……それを言うなら、
俺は、誰も信用してなかっただけだ」
「違います」
即座に、真琴は否定した。
「信用していたからこそ、選ばせなかった」
黒瀬は、初めて視線を上げた。
真琴を、正面から見る。
「……随分、勝手な解釈だ」
「そうかもしれません」
真琴は、認める。
「でも」
言葉を、慎重に選ぶ。
「あなたの沈黙が、“逃げ”じゃなかったことは、分かります」
黒瀬は、何も言わない。
ただ、黙って聞いている。
「あなたは」
真琴は続けた。
「真実を言えば、誰かが選ばされると分かっていた。
だから、一人で背負った」
黒瀬の口元が、わずかに歪む。
「……それで?」
「それで、あなたは救われませんでした」
真琴の声は、静かだった。
「法的にも、社会的にも」
「だろうな」
黒瀬は、即答した。
「最初から、そのつもりだ」
「でも」
真琴は、そこで一度、言葉を切る。
「あなたの選択は、無意味じゃありません」
黒瀬の眉が、わずかに動く。
「俺を慰めに来たのか?」
「違います」
真琴は、はっきり言った。
「私は、あなたと同じ選択はしません」
黒瀬が、初めて黙り込んだ。
「あなたが黙った理由は、理解しました」
真琴は言う。
「でも、私は――黙らない」
「……」
「あなたが伏せた名前も、あなたが避けた構造も。
全部、理解した上で、使います」
黒瀬の視線が、揺れる。
「それは……」
声が、少しだけ低くなる。
「俺の選択を、否定するってことだ」
「いいえ」
真琴は、首を横に振った。
「乗り越える、です」
沈黙。
ガラス越しに、二人の呼吸だけが残る。
しばらくして、黒瀬が小さく笑った。
「……厄介だな」
「そう言われるのは、慣れてます」
「だろうな」
黒瀬は、目を伏せる。
「じゃあ――」
そして、静かに言った。
「それでいい」
それ以上は、何も語らなかった。
だが、その一言には、拒絶も、皮肉もなかった。
終了を告げる無機質な合図が、室内に響く。
真琴は、立ち上がる前に、最後に言った。
「あなたの沈黙は
もう、一人分じゃありません」
黒瀬は、答えなかった。
だが、顔を上げて、真琴を見ていた。
それだけで、十分だった。
真琴は、背を向ける。
面会室を出る。
檻の中に残った男と、
檻の外にいるはずの男。
その境界が、
ほんの少しだけ、揺らいだ気がした。