テラーノベル
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相談室に入ってきた相談者は、今日は椅子に座るなり、背もたれに深くもたれかかった。
疲れているというより、構えるのをやめた感じだった。
「親さ」
天井を見たまま言う。
「“じゃあ、いつから戻るの?”って聞いてくるんだよね」
日下部は、机に頬杖をついている。
「早いな」
「早い」
相談者は小さく笑う。
「行ってない理由を話す前に、それ」
「未来の話」
「うん。予定」
少し間があく。
「……決められるのが、一番きつい」
日下部は「そうだろうな」とだけ返した。
「戻る日を決めるとさ」
相談者は、指先で服の端をいじる。
「そこに向かって“回復しなきゃ”ってなる」
「治す前提」
「そう」
声が低くなる。
「今の状態が、仮置きみたいになる」
日下部は、ゆっくりと姿勢を変えた。
「休んでるんじゃなくて
サボってる途中、みたいな」
相談者は苦く笑う。
「で、決めた日が近づくと」
一拍。
「毎日、体が重くなる」
「近づくほど」
「うん」
日下部は、しばらく黙ってから言った。
「それ、戻る日が怖いんじゃないな」
「……え」
「“戻れなかった時”を想像させられるのが、きつい」
相談者の視線が、ゆっくり日下部に向く。
「決めた日に行けなかったら」
日下部は続ける。
「“ほらやっぱり”ってなるだろ」
相談者は、息を吸い込んだ。
「なる」
即答だった。
「期待された分、裏切った感じになる」
「自分でも」
「自分が一番思う」
日下部は、机を軽く指で叩いた。
「戻る日ってさ」
軽く、でもはっきり。
「希望じゃなくて、監視になることがある」
「……」
「特に、今みたいな状態だと」
相談者は、ゆっくり頷く。
「“いつ”を決めると」
「うん」
「“今”が全部ダメになる」
日下部は、その言葉を繰り返さなかった。
代わりに、少し違う角度から言う。
「回復って、直線じゃない」
「分かってる」
「でも周りは、カレンダーで見る」
相談者は、苦笑する。
「今日から何日目、って」
「それな」
日下部は小さく息を吐いた。
「戻る日を決められた瞬間」
一拍。
「休みじゃなくなるんだ」
「……」
「準備期間になる」
相談者の肩が、わずかに強張る。
「準備できてないのに」
「だから苦しい」
日下部は、視線を逸らしてから言った。
「“戻る日”を決めない=一生行かない、じゃない」
「でも、そう思われる」
「それは」
少し考えてから。
「相手の不安」
「……」
「不安を消したくて、日付を置きたがる」
相談者は、ゆっくりと息を吐く。
「じゃあさ」
声が少し弱くなる。
「どう言えばいいんだろ」
「“決められない”って」
日下部は、少しだけ口角を上げた。
「そのままでいい」
「怒られる」
「だろうな」
即答。
「でも」
一拍。
「“決めると調子が崩れる”って事実は、言っていい」
相談者は考える。
「責められない?」
「責められるかもな」
正直な声だった。
「でも」
続ける。
「それは、わがままじゃない」
相談者は、視線を落とす。
「戻る日は」
日下部は、静かに言った。
「ゴールじゃなくていい」
「……」
「今は、“決めない”って選択もある」
相談室の空気が、少しだけ緩む。
「日付がないと」
相談者は小さく言う。
「生きてちゃダメみたいに思ってた」
「それは違う」
日下部の声は、強くなりすぎなかった。
「今日を生きてるなら」
一拍。
「もう進んでる」
相談者は、しばらく黙っていた。
「……戻る日」
ぽつりと。
「決めなくても、いいんだな」
「今はな」
日下部は頷く。
「今は、“戻らない日”を生きてるだけだ」
それは肯定でも励ましでもなく、
ただの事実として置かれた言葉だった。
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