昼休み。俺はトイレの隅でうずくまっていた。冷たいタイルに背をつけると、ひりついた火傷が衣服越しに痛みを主張する。爪のない指先を握りしめると、ひきつる感覚が襲ってくる。
耐えようと息を殺すたびに、胸の奥からは「生きててごめんなさい」という言葉が勝手に浮かぶ。
その瞬間だった。
「おい、いたぞ」
数人の声が重なって、俺の逃げ場をふさいだ。
ドアが勢いよく開かれ、数人がなだれ込んでくる。笑い声。足音。
俺は条件反射で立ち上がろうとしたが、肩を押さえつけられて壁に叩きつけられた。
「さっきの聞いたぞ。『生きててごめんなさい』って?」
先頭にいたやつがにやにや笑って俺の顔を覗き込む。
「だったら死ねば? ほら、ちょうどいい」
懐から取り出したのは、折りたたみ式の小さな刃物だった。銀色の光が蛍光灯に反射して目に刺さる。
喉がひゅっと鳴った。背中に汗が流れる。
「や、やめ……」
声が勝手に漏れた。けれど最後まで言えなかった。
「おまえさ、口だけだよな。『ごめんなさい』だの『生きてて悪い』だの言っといて、全然死なねぇじゃん」
別のやつが笑いながら俺の髪を掴み、顔を無理やり上げさせた。焼け焦げた髪の一部を指でつまみ、見せつけるように引っ張る。
「こんなみっともない頭でよく生きてるわ」
「なぁ、やらせてみようぜ」
刃物を持ったやつが言うと、周りの数人がどっと笑った。
「ほら遥、自分で首に当ててみろよ」
「どうせおまえの存在なんかゴミなんだから、今消えろよ」
「できねえなら、俺らが手伝ってやってもいいけど?」
俺の手に冷たい金属が握らされた。
強引に指を包まれ、柄を押し付けられる。震える手。呼吸が荒くなる。
「……や、やめて……俺……俺は……」
口から勝手に声が漏れる。懇願にもならない、ただの震え声。
「何だよ? 死ぬのもできねぇのか?」
「結局嘘つきじゃん。『生きててごめんなさい』って言うくせに」
「ほら早く、首か手首、どっちにする?」
刃の先が顎の下に押し当てられた。冷たい感触が一瞬にして熱を帯びるように錯覚させる。心臓が喉までせり上がってくる。
「……ごめんなさい……ほんとに……もうやめて……」
自分でも情けないと思いながら、口からそれしか出ない。
「また謝った! 出たよ十八番!」
「ごめんなさいって言うならさぁ、行動で示せよ。ほら、首動かせば一瞬だろ?」
笑い声と押し殺した興奮が狭いトイレに充満する。
誰かがスマホを取り出して構えた。
「動画撮っとこ。『死に損ないの遥くん』ってタイトルでさ」
俺は必死に首を振る。涙が頬を伝う。
「やだ……やだよ……っ」
「は? 何がやだだよ。おまえ、いつも自分で『俺なんかいらない』って言ってんじゃん」
「なぁ、どうした? ほら、言ってみろよ。『俺が悪い』って」
歯がガチガチと鳴る。声を押し殺しても震えが止まらない。
「……俺が悪い……全部……俺が……」
途切れ途切れに零れた言葉は、彼らにとっては最高の餌だった。
「ほら聞いた? 自分で言ったぞ!」
「マジで笑えるわ、こいつ」
「じゃあ、処分されても文句ないよな?」
刃先がさらに強く押し当てられる。皮膚が切れるかどうかのところで、俺の体は完全に硬直した。息が吸えない。
「……やめて……死にたくない……っ」
気づけば心の底から出ていた。
一瞬の静寂。
そして爆発するような嘲笑。
「はははっ! 結局死にたくねぇんだ!」
「口だけで生きてるクズ!」
「いいねぇ、矛盾のかたまり! 最高だわ!」
刃物はようやく引かれ、俺の手から乱暴に取り上げられた。
膝から力が抜けて、床に崩れ落ちる。涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになっているのがわかった。
「なぁ、これからも頼むぞ。おまえは生きてるだけで笑い取れるからさ」
最後に誰かが吐き捨てるように言った。
ドアが閉まって、トイレに静けさが戻る。
残ったのは、濡れた床に崩れた自分だけ。
嗚咽を必死に噛み殺すけど、震えは止まらない。
俺の頭の中には、彼らの声が繰り返されていた。
――死ねばいいのに。
――おまえが悪い。
――クズ。
それと同時に、確かに自分の声も響いていた。
「俺が悪い。全部、俺が悪い……」
トイレの蛍光灯が白く光っている。
でもその光は、俺にはどうしようもなく、冷たかった。







