テラーノベル
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蒼の部屋に行かなくなって、一週間が過ぎた。
凪はなるべく考えないようにしていた。
大学。
バイト。
帰宅。
毎日同じことを繰り返していれば、蒼のことを考える時間は減ると思っていた。
でも実際は逆だった。
夜になると、ふとした瞬間に思い出す。
蒼の部屋の匂い。
ソファ。
酒の缶の音。
そして蒼の顔。
凪は小さく息を吐く。
忘れたいのに、忘れられない。
その日、大学の帰りだった。
キャンパスの前の通りを歩いていると、聞き覚えのある声がした。
「凪?」
振り向く。
沙希だった。
蒼の彼女。
髪をまとめて、いつもの軽い笑顔を浮かべている。
凪の胸が少し固くなる。
「久しぶり」
沙希はそう言って近づいてくる。
距離感は相変わらず自然だった。
「最近来ないじゃん」
その言葉で、凪の視線が下がる。
「忙しくて」
短く答える。
沙希は少し首を傾ける。
「ふーん」
それから、少し笑う。
「蒼、つまんなそうだよ」
凪の心臓が小さく跳ねる。
「そうなの?」
沙希は肩をすくめる。
「知らないけど」
軽い声。
でも、その目は凪をよく見ていた。
「ねえ」
沙希が言う。
「なんかあった?」
凪は首を振る。
「別に」
沙希は少し黙る。
それから、あっさり言った。
「蒼とキスした?」
凪の呼吸が一瞬止まる。
心臓が強く鳴る。
どうしてそれを。
凪は言葉が出ない。
沙希は凪の反応を見て、小さく笑う。
「やっぱり」
軽い調子だった。
怒っている様子はない。
それが余計に怖い。
沙希は言う。
「蒼、そういうことするよ」
凪は黙る。
沙希は続ける。
「別に気にしてない」
さらっと言う。
「蒼だし」
その言い方は慣れているようだった。
蒼がそういう人間だと分かっている声。
でも、その次の言葉で凪の胸が冷える。
「でもさ」
沙希は凪を見て言う。
「凪はちょっと可哀想だよね」
凪は顔を上げる。
沙希は笑っていない。
「蒼、本気じゃないじゃん」
その言葉は静かだった。
でも、鋭かった。
凪は何も言えない。
分かっている。
そんなこと。
蒼が本気じゃないことも。
自分がただ流れの中にいるだけの存在だってことも。
それでも――
凪は小さく言う。
「知ってる」
沙希は少し驚いた顔をする。
「へえ」
それから、少し笑う。
「じゃあなんで離れないの」
その質問は単純だった。
でも答えは出ない。
凪はしばらく黙る。
そして小さく言う。
きょRa
「……分からない」
沙希は凪を見ていた。
数秒。
それから小さくため息をつく。
「ほんと変」
そう言って、少しだけ優しい声になる。
「でもさ」
凪を見る。
「蒼、ああ見えて」
少し笑う。
「自分のもの取られるの嫌いだよ」
凪の胸がざわつく。
「凪が離れたら」
沙希は軽く言う。
「たぶん追いかけるよ」
その言葉は冗談みたいだった。
でも凪には妙に現実味があった。
その夜。
凪のスマホが震えた。
画面を見る。
蒼からだった。
短いメッセージ。
「今日来いよ」
たったそれだけ。
理由もない。
説明もない。
でも凪の胸の奥が、また強く揺れる。
行くべきじゃない。
分かっている。
それでも――
凪の指は、しばらく画面の上で止まっていた。
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