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相談室のドアが閉まっても、その人は立ったままだった。
「……座らない?」
「あ、はい」
言われてから、ようやく椅子に気づいたみたいな動きだった。
「今日は、どんな相談で」
日下部がそう言うと、その人は少し困った顔をした。
「相談……なのかも、わからなくて」
「わからないままでいい」
日下部は即座に返した。
「そういう人、結構来る」
安心したのか、相手は小さく息を吐いた。
「最近、身近な人が亡くなりました」
「……」
「泣くと思ってたんです。でも、泣かなかった」
淡々とした声だった。
「悲しい、とは思います。でも……それだけで」
「それだけ?」
「はい。取り乱すこともないし、仕事も普通に行けてる」
日下部は相槌だけ打つ。
「周りは心配してくれてます。“無理してない?”って」
「うん」
「でも、無理はしてないんです。本当に」
そこで、少しだけ言い淀む。
「……それが、怖くて」
「何が」
「私、冷たいんでしょうか」
その言葉は、まっすぐ落ちた。
「人が死んだのに、この程度で済ませてる自分が」
日下部は、少しだけ視線を落とした。
「“この程度”って、誰が決めた?」
「……世間、ですかね」
「世間は、泣く量を測らない」
「でも、“普通はこう”って、あるじゃないですか」
日下部は、すぐに否定しなかった。
「あると思ってる人は多い」
ペンを指で転がす。
「でもそれ、感情の正解集みたいなものだ」
「……」
「悲しいときは泣く。怒ったら声を荒げる。寂しかったら誰かに縋る」
ひとつ、間を置く。
「それができない人は、“おかしい”ってことになってる」
相手の視線が、少しだけ上がる。
「私は、どれも違う気がします」
「違っていい」
「でも……じゃあ、私の感情は何なんですか」
その問いは、少し切実だった。
「ちゃんと悲しめてないなら、失礼なんじゃないかって」
日下部は、少し考えてから口を開いた。
「それ、“悲しんでない”んじゃなくて」
言葉を選ぶ。
「外に出てこないタイプなだけじゃないか」
「外に……」
「感情って、必ず行動や涙になるわけじゃない」
日下部は静かに続ける。
「何も変わらず生活できてるなら、それは“壊れてない”ってことだ」
「……」
「壊れてない自分を、責める必要はない」
相手は、しばらく黙っていた。
「……泣かなくても、いいんですか」
「泣けたらいい、でもいい」
日下部は、少しだけ肩をすくめる。
「泣けないなら、それも含めて“その人なりの反応”だ」
その人は、ようやく椅子の背にもたれた。
「……感情に、合格不合格があると思ってました」
「そう思わされてる人、多い」
日下部は、最後にこう付け足す。
「でも、感情はテストじゃない」
相談室には、静かな余韻が残った。