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#現代ファンタジー
るるくらげ
1,431
「…………何?」
鼓動が止まるかのような沈黙の後、ヴァロフェスは掠れた声が己の口から漏れ出るのを聞いた。
それから《青い風》を前に立ち尽くす、ミーシャを見遣る。
彼女の明るい色の瞳が大きく見開かれている。胸にドス黒いものが溜まってゆくのを感じながら、その視線を追うヴァロフェス。
ブクブクと泡立つ湖面。
そこにプカプカと浮かび上がって来たのは、何体もの白骨化した遺体だった。
そして、ヴァロフェスは信じられない、否、信じたくないものを見た。
浮かび上がって来た一体の遺体の腰には、見事な装飾が施された短剣が吊るされていた。
長い間――、言葉を発そうとするものは誰一人とていなかった。
その沈黙の中、ヴァロフェスは思い出す。
王宮の図書室の納められた、一冊の歴史書。
そこには、呪われた砂漠に姿を消した、とある一族の悲劇が記されていた。
「――生への執着が捨てきれぬ、惨めな死霊どもが」
それは地の底から響くような、不気味な男の声だった。
「ワシの分身に追い込まれて、また、帰って来よったか……」
ツン、とヴァロフェスの鼻腔に突き刺さる、血と泥が混ぜ合わされたかのような異臭。
クククッ、と喉の奥から発するような笑い声をあげながら、湖底から巨大なものがゆっくりと姿を現す。
それは大きな牛ほどもある、巨大な蠍だった。
黒光りする甲殻。鮮血と腐肉がこびり付いた、二つの大鋏。
そして、蠍の頭部に張り付いた、醜い老人の顔。
「いい加減に諦めろ。早く、ワシの一部になってしまえ」
あっ、と声をあげる間もなかった。
湖から浮上したその怪物は、すぐちかくで目を白黒させて浮き沈みしていたグレッドの首を、その巨大な鋏で跳ね飛ばす。
不思議なことに、血の一滴も毀れなかった。
首と泣き別れになったグレッドの身体が一瞬、揺らいだかと思うと――、細かな粒子となり、吸い込まれるようにして大蠍の体内へと消える。
「ああ、美味ぢゃ美味ぢゃ」
クチャクチャと口を動かし、快楽に歪む老人の顔。
「他人の苦痛はワシの大好物よ。何度しゃぶっても飽きぬわ」
身動きも取れぬまま、子どもの一人が火をかけられたような悲鳴をあげ、それはたちまちのうちに《青い風》全体へと伝染してゆく。
「何をそんなに怯えておる?」
老人の黄色く濁った瞳がギョロリと蠢いた。
「お前達がワシに食い殺されたのは、もう何百年も昔の話ぞ? 今の若造とて、とっくにこの世の者ではないわ。その死魂が再び、ワシの腹に戻っただけではないか」
言葉を失ったまま、ヴァロフェスはミーシャを振り返った。
強い瞳の少女の顔からは、あらゆる表情が失われていた。
老人の顔を持つ大蠍は、そんなミーシャを鼻で笑う。
「全く、《青い風》の族長が聞いて呆れるわ。生前は仲間を誰一人、守ることも出来なかった小娘が。何十回、否、何百回とワシの腹から抜け出し追って」
「わ、私は……」
ミーシャの声は小さく、掠れていた。
そのか細い肩がカタカタと小刻みに震えているのが分かった。
「何度、喰い直してやっても、すぐ忘れてしまうようだが――、今度こそ、魂の髄まで刻み込んでくれるわ。お前には、お前達には守るものも目指す未来も残っておらん」
ザブザブと水飛沫をあげながら――、湖から這い上がる大蠍。
恐慌状態に陥った《青い風》を尻目に、立ち尽くすミーシャに向かって這い寄ってくる。
「やめろッ!!」
叫び、ヴァロフェスはミーシャを背に怪物の前に立ち塞がる。
「この者達に手を出すな!!」
「あぁ? 何だ、貴様は?」
老人の胡乱そうな眼差しが向けられる。
「人の食い物を横から掠め取るつもりか?」
「一つだけ、答えろ」
全身の細胞が炎のように燃え立つのを感じながら、ヴァロフェスは尋ねる。
「貴様は――、マクバと言う魔術師を知っているか?」
「ん? そう言えば、ワシがまだ人であった時、そう名乗る者と出会ったな。あやつはワシにこう言った。お前はキャラバンに見捨てられ、たった一人、渇きながら死んでゆく。こんなことが許せるのか、とな」
「何と……、答えたのだ?」
「知れたことよ。当然、許せぬ、と答えた。そして、気が付けばワシはこうなっていた」
「そうか」
グッと握りしめられる、ヴァロフェスの拳。
「ならば、貴様は私の同類――、《叫ぶ者》と言うわけだな」
「だから、何だと言うのだッ!!」
激高し、左右の鋏を大きく振り上げる、大蠍。
「邪魔立てするならお前から喰ってくれるわッ!!」
振り下ろされた巨大な凶器がヴァロフェスの頭部目がけ、叩き下ろされる。
しかし――、
「ぎぃやああああっ!!」
おぞましい絶叫とともに黄緑色の体液が周囲に飛び散る。
もぎ取られ、弾き飛ばされたのはヴァロフェスの頭ではなく、大蠍の鋏だった。
「そうか。やはり、そうか」
ヴァロフェスの口元には、半月のような笑み。
「やつが、マクバが生み出した《叫ぶ者》は、私以外にも存在するようだな」
スッ、と拳を構え直すヴァロフェス。
素早く大蠍の懐に飛び込み、流星の如き連打を黒光りする甲殻に次々と打ち込んでゆく。
殺せ殺せ殺せ、欠片も残すな!!
肉を引き裂き、骨を砕いて、血を啜ってやれ!!
ヴァロフェスは己の内側から拍手喝采が巻き起こるのを感じた。
無慈悲で厭らしく、殺意に満ちた暗い力が。
シュッ、と言う気合いの声とともに打ち上げられた膝が老人の顎を砕いた。
苦悶の呻き声をあげ、その巨体を地に沈める大蠍。
「答えてもらおうか。やつは我々のような怪物を生み出し、何を企んでいる」
「し、知るものか」
原型を留めぬほど顔を陥没させた老人の口から血泡が噴き毀れる。
「この数百年間、ワシは一歩も砂漠の外には出ておらん」
「そうか……」
小さく頷き、ヴァロフェスは再び拳を構え直す。
「ま、待て!! ワシを、ワシを殺してもいいのか!?」
苦し紛れとも取れる大蠍の言葉だったが、引っかかるものを感じ、問い返すヴァロフェス。
「……どういう意味だ?」
「わ、分からんか? ワシを殺せば――、死者どもも消えて無くなるぞ?」
ハッとヴァロフェスは息を飲み、動きを止めていた。
それに気を良くしたのか、得意気な口調になって大蠍が続ける。
「考えもみろ、小僧。あいつら、《青い風》どもは、何百年も前にワシが喰い殺し、その魂を取りこんでやった亡霊どもだ。そんな残りかすどもが、何故、生者のように振る舞えたと思う? 全ては、ワシの魔力の影響よ」
「…………」
ヴァロフェスは己の全身に漲っていた凶暴な力が急速に萎んでゆくのを感じた。
そして、声もなく異形同士の殺し合いを見守っていた《青い風》、継いでミーシャに視線を向ける。
この人達が消える?
生き延びようと、ただ、懸命に闘い続けた彼らがこんな怪物と一緒に?
と、その時だった。
呆然と立ち尽くしていたミーシャの顔色がサッと変わった。
「危ない、ヴァロフェス!!」
動揺のせいか、一瞬、反応を遅らせてしまう。
大剣のような尾の先がヴァロフェスのか細い肩を深々と貫く。苦悶の声をあげる間すら与えられず、宙を舞わされ、続いて勢いよく地面に叩きつけられる。
「この愚か者が!! お前のような成り立てにやられるワシではないわ!!」
ゲラゲラ、と嘲り笑う大蠍。
ブクブクと血泡を立てて、引きちぎった鋏がその付け根から再生を始める。
「死ねぇええいッ!!」
グオッ、と風を切って――、巨獣の顎のように大きく開かれた鋏がヴァロフェスに向かって迫る。
こんなところで万事休す、か。
と、ヴァロフェスが奥歯を噛みしめた時だった。
巨大な鋏の前に素早く飛びこむ人影があった。