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相談室のドアは、ゆっくりと閉められた。
鍵をかけるほどじゃない。ただ、外の音を一枚隔てるための動作。
椅子に座った相談者は、すぐには話し出さなかった。
両手を膝の上に置いたまま、視線だけが落ち着かない。
「……親にさ」
ようやく出てきた声は、小さかった。
「理由、聞かれるんだよね」
日下部は「うん」とだけ返す。
「なんで行かないのか、って」
相談者は苦笑いを浮かべる。
「正しい質問だと思う」
「まあな」
「でも」
一拍。
「答えようとすると、全部ズレる」
日下部は、急かさなかった。
「“しんどい”って言うと」
相談者は指を組む。
「“何が?”ってなる」
「具体性」
「“分からない”って言うと」
肩がすくむ。
「“分からないは通らない”って言われる」
日下部は、軽く眉を寄せた。
「嘘つけばいいのに、とは言われない?」
「言われる」
即答だった。
「でも、嘘も浮かばない」
「浮かばない?」
「浮かぶけど」
言い直す。
「それ言ったら、もっと面倒になるって分かる嘘しかない」
沈黙が落ちる。
「本当の理由は?」
日下部が聞く。
相談者は、少しだけ考えてから答えた。
「……説明できる形じゃない」
「形?」
「感覚とか、空気とか」
胸のあたりを指で押さえる。
「積み重なったやつ」
「一個じゃない」
「うん」
日下部は、深く頷いた。
「それを一文にしろって言われても」
「無理」
相談者は即答した。
「それで」
少し声が低くなる。
「説明できない=サボり、になる」
日下部は、視線を外さずに言った。
「親にとってはな」
相談者は唇を噛む。
「分かってほしいわけじゃない」
「じゃあ、何」
「……納得してほしい」
その違いに、日下部は小さく息を吐いた。
「納得って」
「責めない理由がほしいだけ」
相談室は静かだった。
誰も、正論を投げてこない。
「説明できない理由ってさ」
日下部が口を開く。
「まだ言葉になってないだけだ」
「……」
「逃げでも、甘えでもなくて」
一拍。
「整理前」
相談者の肩が、わずかに下がる。
「でも、親は待ってくれない」
「分かる」
短い返事。
「答えがないと、不安になるからな」
「その不安、こっちに投げてくる」
日下部は、机に肘をついた。
「全部説明しなくていい」
「……え」
「“分からない”を、理由にしていい」
相談者は、少し驚いた顔をする。
「理由にならないって言われる」
「それは相手の都合だ」
強くもなく、淡々と。
「説明できない状態にいる、って事実はある」
相談者は、ゆっくり息を吐いた。
「言っても、分かってもらえないかもしれない」
「それでも」
一拍。
「言葉を削っていい」
「削る?」
「全部じゃなくていい」
日下部は続ける。
「“今は整理できてない”」
「……」
「それ以上、背負わなくていい」
相談者は、膝の上の手を見つめた。
「説明できない自分が、一番嫌だった」
「それな」
日下部は、少しだけ苦笑する。
「一番責めてるの、自分だろ」
相談者は、何も言えなかった。
「親に説明できない時点で」
日下部は、静かに言った。
「まだ途中だ」
「途中?」
「終わってないし、壊れてもない」
相談室の外で、足音が遠ざかる。
「説明できない時期も」
一拍。
「ちゃんと、生きてる途中だ」
その言葉は、慰めじゃなかった。
ただ、位置を示しただけだった。