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松下一成
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王都北区。
神殿に最も近い街区。
白い石造りの回廊と、祈りの鐘。
その片隅に、小さな診療院がある。
追跡を逃れたレオンが身を潜めたのは、そこだった。
理由は単純だ。
祝福の光が弱い場所。
神殿騎士の感知が届きにくい。
そして。
「……立っていられる?」
少女が言った。
淡い金の髪。
澄んだ青の瞳。
だが、胸元の紋章は、ほとんど光っていない。
名前は、リュシア。
かつての《聖女候補》。
神殿の象徴。
祝福《大治癒》。
上位祝福。
今は――失われている。
「ここは安全よ。たぶん」
たぶん、という言い方が現実的だった。
レオンは椅子に腰を下ろす。
「なぜ匿う」
「匿ってないわ。倒れてたから拾っただけ」
嘘だ。
目が、知っている。
祝福減衰の噂。
祝福泥棒。
それを知った上で、拾った目。
「あなた、触ると減るんでしょう?」
直球。
レオンは沈黙する。
「怖がらないのか」
「もう失ってるもの」
静かな声。
レオンは視線を落とす。
確かに、彼女の紋章はほぼ消えている。
「聖女候補だったの」
「……だった?」
「ええ。もう違う」
訂正が速い。
「ある日、急に弱くなったの」
レオンの心臓が止まりかける。
「神殿は“神の試練”って言ったわ」
微笑む。
諦めではない。
皮肉だ。
「便利よね。説明できないことは全部神様」
沈黙。
レオンは、意を決して言う。
「触れるな」
「どうして?」
「減る」
「もう減らないわ」
少女は立ち上がる。
近づく。
止まれ。
そう言う前に。
指先が、触れた。
腕に。
――鼓動。
来る。
奪える。
だが。
何も起きない。
胸の奥は、静かだ。
吸い上げる感覚がない。
波が立たない。
「……」
「ほら」
彼女は笑う。
「何も起きない」
レオンは目を見開く。
初めてだ。
触れても、奪えない。
触れても、欲が騒がない。
「どうして」
「たぶん、空だから」
空。
その言葉が重い。
「祝福ってね」
リュシアは言う。
「器みたいなものらしいわ」
「器?」
「神様が光を注ぐための器」
彼女は胸に手を当てる。
「私は、壊れた器」
静かに。
悲壮感なく。
「だからあなたは、私から奪えない」
レオンは息を呑む。
奪えない相手。
それはつまり。
安全な相手。
初めて。
触れても怖くない存在。
喉が熱くなる。
「……怖がらないのか」
「あなたが?」
彼女は首を傾げる。
「怖い顔してるのは、あなたのほう」
言葉が刺さる。
「あなた、奪うとき嫌そうな顔してる」
レオンは目を逸らす。
「見たことがあるのか」
「ええ」
静かな肯定。
「地下闘技場」
胸が冷える。
「祝福が削れた瞬間、あなた、泣きそうだった」
否定できない。
あの快感と嫌悪。
混ざった顔。
「優しいのね」
「違う」
即答。
「優しい奴は、奪わない」
「じゃあ、奪わなければいい」
簡単に言う。
だが、それは。
弱いままでいろと言うこと。
追われるままでいろと言うこと。
家族に捨てられたままでいろと言うこと。
「奪わなきゃ、生き残れない」
低い声。
リュシアはしばらく黙る。
そして。
「じゃあ」
まっすぐ見る。
「私から奪えばいい」
レオンの思考が止まる。
「空っぽなら、減らない」
「意味がない」
「あなたが安心できる」
その言葉が、柔らかい。
「触れても壊れない相手がいるって、大事でしょう?」
理解が遅れてやってくる。
彼女は。
自分を“練習台”にしようとしている。
「……なぜそこまで」
「あなたが本当に悪い人なら、今ここにいない」
静かに。
「神殿に自首してるか、兄から奪ってる」
息が止まる。
見透かされている。
「あなたは、まだ選んでる」
その言葉が、重い。
選択。
奪うか、奪わないか。
レオンは初めて思う。
この少女は。
自分より、ずっと強い。
祝福がなくても。
「……名前は?」
「リュシア」
「俺は」
「知ってる。レオン」
微笑む。
「祝福泥棒」
わざと軽く言う。
「でも、私はそう呼ばない」
静かに。
「あなたはまだ、人間だもの」
胸が痛む。
その言葉は、救いだ。
そして。
残酷だ。
人間でいるためには。
奪い続けられない。
だが、奪わなければ生き残れない。
夜の鐘が鳴る。
神殿の捜索は、近づいている。
リュシアは言う。
「ねえ、レオン」
「……何だ」
「あなたの祝福、本当に“ない”の?」
その問いが。
次の地獄を開く。