放課後の校舎は、昼より音が少ない。
遠くの部活の掛け声が反響して、近くの静けさを強くする。
教室の隅、机を二つ並べただけの相談スペースに、生徒が来た。
中学生。制服の袖が少し長い。椅子に座ると、背中を丸めた。
しばらく、何も言わない。
遥は、急かさない。黒板の端に残ったチョークの線を見ている。
「……話すの、得意じゃないです」
生徒が、ようやく言った。
声は小さいが、逃げてはいない。
「考えてないわけじゃないんです。
むしろ、考えすぎるくらいで」
遥は、視線だけ向ける。
「でも、
“何も考えてなさそう”って言われます」
生徒の指が、机の縁をなぞる。
「授業でも。
話し合いでも。
先に話が決まって、
終わってから聞かれるんです」
一拍。
「“なんで言わなかったの?”って」
遥は、短く息を吐いた。
「言う前に、終わってるなら」
「言えないですよね」
生徒は、少しだけ頷いた。
「言おうとしてたこと、
頭の中にはちゃんとあって」
言葉を探す間、沈黙が落ちる。
「でも、 声に出す前に、
“どうせ通らない”って思うんです」
遥は、その“どうせ”を聞き逃さない。
「通らなかった経験が、ある」
生徒は、答えない。
代わりに、肩がわずかに下がる。
「……あると思います」
「それでな」
遥は、机の上に置かれたペンを見る。
「静かなやつほど、
“分かってる扱い”されやすい」
生徒が、目を上げる。
「分かってる、って」
「説明しなくてもいい。
納得してる。
文句がない」
一つずつ、区切る。
「そういう役」
生徒は、唇を噛んだ。
「俺、納得してないことも多いです」
「だろ」
遥は、淡々と返す。
「でも、訂正しないから、周りは気づかない」
教室の外で、ドアが閉まる音がした。
「訂正するの、疲れるんです」
生徒は、ぽつりと言った。
「説明しても、
“めんどくさい”って顔されるし」
「それでも、後で聞かれる」
「……はい」
「しんどいな」
遥は、短く言う。
「静かなやつが、一番消耗する構図だ」
生徒は、苦笑した。
「静かにしてるだけなのに」
「してる“だけ”じゃない」
遥は、言葉を選ぶ。
「空気を壊さないように、
タイミングを測って、
無駄を省いてる」
生徒の目が、揺れる。
「それ、ちゃんと仕事だ」
少し間があった。
「……仕事、なんですか」
「頭、使ってる」
遥は続ける。
「ただな、評価されにくい」
生徒は、黙る。
「評価されないと、自分でも分からなくなる」
遥の声は低い。
「考えてるのか、考えてないのか」
生徒は、ゆっくり頷いた。
「最近、
自分が何考えてるのか、
分からなくなる時あります」
「それはな」
遥は、生徒を見る。
「周りのペースで、答えを出し続けた後だ」
生徒の手が、止まった。
「一個、やってみろ」
「……何を」
「結論だけ言う」
生徒は、戸惑う。
「理由、説明しなくていい」
遥は続ける。
「“それは違うと思う”
“まだ決めなくていい”
それだけでいい」
生徒は、息を吸う。
「反論、来ますよね」
「来る」
遥は即答する。
「でも、
“何も考えてない”扱いは、
されなくなる」
生徒は、考え込む。
「怖いです」
「分かる」
遥は否定しない。
「でもな、
今も十分、怖い場所にいる」
生徒は、目を伏せた。
「選ばれないのも、
軽く見られるのも、
慣れてきちゃって」
「慣れたら、抜けにくくなる」
遥は静かに言う。
「慣れは、檻になる」
生徒は、深く息を吐いた。
「……一回だけ、やってみます」
「一回でいい」
遥はそれ以上、言わない。
椅子が引かれる音。
生徒は立ち上がる。
扉の前で、一瞬だけ止まった。
背中はまだ小さい。
でも、完全には縮こまっていなかった。
扉が閉まる。
遥は、机の位置を少しだけ直す。
放課後の光は、もう薄い。
それでも、次の足音が、廊下の奥から近づいてきていた。






