テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
放課後。
カーテンが半分だけ揺れている。
ドアが開く。
「時間」
「ある」
日下部は黒板を見たまま。
生徒は座る前に一瞬止まる。
「楽なんです」
「何が」
「その人といるの」
椅子を引く音。
「気を遣わなくていいし、沈黙も平気」
「いいな」
「うん。いいはず」
少し間。
「でも」
日下部は待つ。
「深い話になりそうになると、急に苦しくなる」
窓の外で部活の声。
「嫌い?」
「違う」
「怖い?」
「……たぶん」
日下部は腕を組む。
「楽ってのは、浅いところで安定してる状態だ」
「浅い」
「水面」
生徒は視線を上げる。
「深く潜ると、息が続くか分からない」
静か。
「壊れたら嫌なんです」
「何が」
「この“楽”が」
即答。
「なるほどな」
日下部は少し頷く。
「今は、失うには惜しい距離感なんだ」
「はい」
「深くなれば、変わる」
「はい」
「変わると、戻れない」
沈黙。
「だから、手前で止める」
生徒は小さく頷く。
「ずるいですか」
「保身だな」
「……」
「でも悪ではない」
短く言う。
「深くなると、責任が増える」
「責任」
「相手の弱さを知る責任。自分の弱さを見せる責任」
生徒は指先を見つめる。
「楽な関係は、まだ互いに無傷だ」
「無傷」
「だから心地いい」
間。
「じゃあ、どうすればいいですか」
日下部は少し考える。
「急に潜らない」
「え」
「足がつく深さから行け」
静かに言う。
「いきなり核心に触れなくていい」
「少しずつ?」
「少しずつ」
風が入る。
「深くなっても楽なら、本物だ」
「苦しかったら」
「まだ早い」
生徒はゆっくり息を吐く。
「壊れるのが怖いのは、大事に思ってる証拠だ」
短い沈黙。
「……それは、ちょっと救いです」
「ならいい」
ドアの前で振り返る。
「楽なまま終わる関係って、ありですか」
日下部は窓を見る。
「ありだ」
一拍。
「でも、記憶は浅い」
ドアが閉まる。
深くならなかった関係は、
傷も少ない代わりに、
爪痕も残らない。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!