そしていよいよ10月になった。
北海道の10月は朝晩がだいぶ冷え込むようになり秋は確実に冬に近い晩秋へと移っている。
この日は瑠璃子の初出勤の日だった。
瑠璃子は運転にもだいぶ慣れ市内ならどこにでも行けるようになっていたが相変わらず車庫入れだけは苦手なままだった。
瑠璃子が初出勤の朝、大輔はいつものように医局の窓際でコーヒーを淹れていた。
その時ふと窓の外を見ると駐車場にピンクの車が現れる。いつもは見ない光景だ。
(出勤してきたな)
すぐに瑠璃子だとわかった大輔はそのままピンクの車の駐車風景を眺めていた。
すると車は予想通り白線から派手にはみ出し斜めに停まる。車は何度も切り返しながらなんとか真っ直ぐ停まろうと努力しているが上手くいかない。そしてなぜかやればやるほど曲がってしまう。
その時とうとう瑠璃子が窓から顔を出した。
瑠璃子は目視で白線の位置を確認しながら真っ直ぐに停めようと試みたが、それでも真っ直ぐにはならなかった。
瑠璃子は首をかしげてから諦めたような顏をすると、そのままエンジンを切り車を降りた。
瑠璃子の表情を見た大輔は思わず声を出して笑ってしまう。そして一口飲んだコーヒーを吹き出しそうになった。
その時たまたま医局へ来ていた通称『院内拡声器』の玉木は、大輔が笑っているのを目撃しかなりびっくりした顔をした。
玉木は慌ててナースステーションへ戻ると同僚達にすぐに伝える。
「ちょっとちょっと! あのデスラーが声を出して笑っていたのよ、もうびっくりーーー」
「うっそーーー」
「信じられなーい」
ナースステーションはたちまち大騒ぎになった。
その時医局にいた先輩の長谷川も大輔が笑っているのを見て驚いて言った。
「大輔先生が笑うなんて珍しいなぁ、何かありましたか?」
長谷川はニヤニヤしながら大輔が見ていた方向を覗き込む。
しかし職員専用駐車場にもう瑠璃子の姿はなかった。
大輔は急に涼しい顔に戻ると言った。
「いえ、なんでもありません」
「そうなのー? なんかあやしいなぁ……」
長谷川はニヤニヤしたまま自分の席へ戻って行く。
大輔も何事もなかったかのように自分の席へ戻って行った。
その頃瑠璃子は緊張気味にロッカールームにいた。
長い髪を後ろで一つに結ぶと真新しいサーモンピンクのスクラブトップスと白色のパンツに着替える。
この病院での制服はスカートタイプの白衣ではなく全員このタイプだ。
瑠璃子はこの制服の方が動き易くて好きだった。
着替え終わった瑠璃子は5階にある内科病棟へ行き内科看護師長の斉藤(さいとう)に挨拶をする。
斉藤は40代後半のさっぱりした感じの良い女性だった。
「看護師長の斉藤です。村瀬さんは以前救命救急、外科、内科を経験されているとお聞きしました。即戦力として凄く期待していますよ。まずはうちの病院に慣れていただくまで前の病院で経験されていた内分泌内科の病棟を担当していただきます。これからよろしくお願いしますね」
「こちらこそご指導よろしくお願いいたします」
瑠璃子は深々と頭を下げる。
次に斉藤は瑠璃子よりも5歳上の先輩看護師・木村夏美(きむらなつみ)を紹介する。ここでの仕事は木村が教えてくれるようだ。
木村は物静かでおっとりした素敵な女性だった。
「村瀬さん、わからない事はなんでも聞いて下さいね」
「ありがとうございます。これからよろしくお願いいたします」
瑠璃子は優しそうな先輩なのでとりあえずホッとした。
その後、朝の申し送りの時にナースステーションで皆に紹介される。瑠璃子は皆に拍手で迎えられた
その中のメンバーには大輔の同期である佐川医師の姿もあった。
今日から瑠璃子は木村と行動を共にしながら一つずつ仕事を覚えていく。
病院内では早くも瑠璃子の噂が広まっていた。
東京から札幌の病院へ転職する人は多いがわざわざ岩見沢市に来る人はいない。
だから瑠璃子は東京から移住してきた美人看護師という事でかなりの注目を浴びていた。
昼休みに木村と食堂へ行くと瑠璃子をチラチラと見る人が後を絶たなかった。
「注目されて大変よね。でもきっと最初だけだから」
木村が慰めるように言った。
「大丈夫です。私、神経は図太いので」
「村瀬さんは救命救急の経験もあるんですってね。すごいわ、即戦力だから頼もしいわ」
「いえ、救命救急は若い時に経験したきりなので」
瑠璃子は謙遜して言う。
二人が食事をしていると外科病棟の玉木みどりがやって来て木村に声をかけた。玉木と木村は仲が良いようだ。
そして前にいた瑠璃子に気付くと瑠璃子にも声をかけてきた。
「村瀬さん、デスラーと飛行機で倒れた人を救助したって本当なの?」
玉木は興味津々で瑠璃子に質問をする。
瑠璃子は一瞬何の事かわからずに呟いた。
「デスラー?」
「ああ、デスラーって言うのは岸本先生のあだ名なの」
その時『岸本』という名前を聞いた瑠璃子はすぐにピンときた。
「岸本先生はこの病院にお勤めなのですか?」
「岸本先生は外科にいらっしゃるのよ」
木村が教えてくれる。
「そうだったんですね。岩見沢の病院とまでしかお聞きしていなかったので」
そこで瑠璃子は二人に飛行機での出来事を詳しく話した。
「でもなんで『デスラー』っていうあだ名なんですか?」
瑠璃子が玉木に質問をするとすぐに教えてくれる。
「岸本先生って、ほら、いつも無口で無表情でしょう? だからよ」
そこで木村が瑠璃子に言った。
「村瀬さんは若いからデスラーなんて知らないわよねぇ」
「知ってますよ。宇宙戦艦ヤマトですよね? 前に再放送でやっていましたから」
「そうそう、それっ」
玉木が嬉しそうに叫んだので三人の笑い声が響いた。
そしてその日瑠璃子は無事に勤務を終えた。
瑠璃子の仕事ぶりを見ていた同僚達は、瑠璃子の事を実力の伴った即戦力だとすぐに認めてくれた。
そしてわからない事があればなんでも聞いてねと皆が親切に声をかけてくれるようになった。
瑠璃子はたった一日で受け入れて貰えたことに感動していた。
中でも大輔の同期の佐川医師は特に親切だった。
緊張気味の瑠璃子を冗談で笑わせたり、瑠璃子が戸惑うとすぐに助け舟を出してくれた。
そのお陰で瑠璃子は今日一日で大体の仕事の流れを覚える事が出来た。
ロッカーで着替えを済ませた瑠璃子は駐車場へ向かう。
その時ちょうど6時間に渡る手術を終え医局でコーヒーを淹れていた大輔が瑠璃子に気付いた。
(無事に初日を終えたみたいだな)
そう思いながら大輔はコーヒーを一口飲み走り去るピンクの車を見送った。
初日を終え家に戻った瑠璃子はすぐにソファーに倒れ込む。
「疲れたー緊張した―」
クッションを抱き締めた瑠璃子は自分が新しい職場でなんとかやっていけそうだとわかりホッとしていた。
安心していた瑠璃子の脳裏に急に『デスラー』というあだ名が思い浮かんだ。
思わず瑠璃子はフフッと笑う。
大輔はナース達からは無口で不愛想な冷徹人間のように言われていたが瑠璃子が知っている大輔は飛行機の急病人に対し的確に処置するとても有能な医師だった。
また瑠璃子をホテルまで送ってくれたり瑠璃子に運転の指導をしてくれたりと親切なイメージしかない。
だからそんなあだ名がついていると知り意外だった。
「でも確かに口数は少なかったわね」
瑠璃子は大輔の顔を思い出しながら思わずフフッと笑った。
コメント
11件
白線内に車を停めるって初心者とかペーパードライバーだったとかの場合、なかなかうまく行かないのよね。 特にバックで停めるのって真っ直ぐにならないの。 未だに斜めになってやり直すわ🤣
デスラー(笑)🤭 青くなければ良しとしましょう(笑)😅 救急救命に居た事あったんだったら即戦力で外科のほうが良いかもね?あ、これから回されるのかな?( *´艸`)デスラーのトコに。
瑠璃ちゃんは救急も経験してるから即戦力で期待が高いね👏👏&歓迎ムードで良かった✨ 大輔さんは何気に意識してるね(無自覚だろうけど🤭)