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昼休みが終わる直前の廊下は、少しだけ温度が下がる。
騒がしさが教室に吸い込まれていく前の、短い空白。
遥はその空白の中に立っていた。
壁にもたれない。
座らない。
立ったまま、ただ時間をやり過ごす姿勢。
日下部は少し離れた位置からそれを見ている。
見ているというより、視界に入れている。
わざと近づかない。
でも、離れすぎない。
距離は五メートルほど。
声をかければ届く。
でも、かけない距離。
角の向こうから、足音が増える。
数人。
笑い声。
「あ、いた」
低い声。
軽い調子。
軽いまま、まっすぐ向かってくる。
遥は振り向かない。
一人が肩を小突く。
軽く。
軽いはずの強さで。
「おい」
反応がない。
もう一度。
今度は少し強い。
遥の身体がわずかに揺れる。
それだけ。
「聞こえてるだろ」
無言。
背中を押される。
一歩、ずれる。
踏みとどまる。
「最近さ」
別の声。
「元気だよな」
笑いが混じる。
「屋上とか行ってさ」
沈黙。
日下部の指がわずかに動く。
動くだけで、歩かない。
遥は反応しない。
反応しないのが、いつもの正解だから。
「返事くらいしろよ」
肩を掴まれる。
引かれる。
体勢が崩れる。
壁に当たる。
音が小さく響く。
周囲に人が増え始める。
でも、足は止まらない。
見て見ぬふりの流れ。
「なあ」
顔を覗き込まれる。
「生きてんの?」
遥は視線を上げない。
上げると、目が合う。
目が合うと、何かが始まる。
だから上げない。
腹に軽く拳が入る。
軽い。
本気じゃない。
でも、確実に痛い位置。
息が一瞬止まる。
それでも声は出ない。
「おー、効いてる」
笑い。
「ちゃんと反応あるじゃん」
もう一度。
同じ場所。
今度は少しだけ強い。
遥の足が半歩下がる。
でも倒れない。
日下部は動かない。
動けない。
動けば止められる距離。
でも、止めれば何かが固定する距離。
過去に何度か、止めたことがある。
止めなかったこともある。
離れた時期もある。
その全部が、今の距離を決めている。
三人目が靴の先で膝裏を蹴る。
小さく。
バランスを崩す程度。
遥が床に手をつく。
すぐに立ち上がる。
「おいおい、倒れんなよ」
笑い。
「まだ授業あるぞ」
肩を叩かれる。
叩くというより、押す。
「教室戻れよ」
言いながら、もう一度押す。
遥は歩き出す。
指示された通りに。
反抗しない。
従うわけでもない。
ただ、流れに合わせて動く。
それが一番早く終わるから。
廊下の途中で、足が止まりそうになる。
止まらない。
止めない。
日下部はその動きを見ている。
見ているだけ。
遥が通り過ぎる。
距離が一瞬だけ縮まる。
目は合わない。
合わないまま、すれ違う。
遥の呼吸が浅いのが分かる。
歩幅が少しだけ狭いのも分かる。
でも、声はかけない。
数秒後。
背後で笑い声が散る。
日下部はその場に残る。
何も起きなかった顔で、教室へ向かう生徒たちの流れを見送る。
止めなかった。
止められた距離だった。
止めたら、次が変わる。
止めなかったら、今が続く。
どちらも分かっている。
廊下が空になる。
日下部は壁に背を預ける。
ほんの一瞬だけ。
手のひらに、爪が食い込んでいる。
無意識に握っていたらしい。
息を吐く。
長く吐く。
それでも、足は動かない。
教室の方からチャイムが鳴る。
授業が始まる。
遥は席にいるだろう。
座っているだろう。
何事もなかった顔で。
それを知っている。
知っていて、
今はここから動かない。
離れすぎない位置で、
見ている。