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蒼が来る日は、なぜか部屋の空気が違う。
凪はそう思う。
特別なことが起きるわけではない。
ただ蒼がソファに座って、適当にテレビをつけて、冷蔵庫を勝手に開けて、凪が作ったご飯を食べるだけだ。
それでも、その時間は凪の生活の中で少しだけ輪郭がはっきりしていた。
今日は蒼が先に部屋に来ていた。
鍵はもうとっくに渡してある。
「おかえり」
ソファの上でスマホをいじりながら、蒼は振り向きもせずに言った。
「ただいま」
凪は靴を脱ぎながら答える。
部屋は少し散らかっていた。
蒼が来た日はだいたいこうなる。
テーブルの上にコンビニの袋。
床には脱ぎっぱなしのパーカー。
凪はそれを拾いながら台所へ向かった。
「ご飯、もうちょっと待って」
「ん」
蒼の返事はいつも短い。
フライパンに油を引いて、卵を割る。
キャベツを切って、豆腐を出す。
料理と呼べるほどのものじゃない。
でも蒼は、なぜか凪の作るものを普通に食べる。
テレビの音が部屋に流れている。
その音に混じって、蒼のスマホの通知音が鳴った。
蒼はすぐにスマホを取る。
少しだけ、笑った。
凪は背中越しにそれを見ていた。
蒼が笑うことは少ない。
だから、わかる。
「彼女?」
凪は何気ない声で聞いた。
蒼は少しだけ間を置いてから、
「まあ」
と答えた。
凪は「そっか」とだけ言って、フライパンをひっくり返す。
油の匂いが広がる。
「明日会う」
蒼が言った。
「へえ」
「大学近いらしい」
凪は少し驚く。
「同じ大学?」
「いや、隣」
蒼はスマホをテーブルに置く。
「今度連れてくるかも」
その言葉に、凪は一瞬だけ動きを止めた。
でも、すぐにキャベツを皿に盛る。
「いいよ」
自分の声が、思ったより普通だった。
蒼は特に気にしていない様子で言う。
「犬も見せたいし」
凪は少しだけ笑った。
「……犬って」
蒼は当然みたいな顔で言う。
「お前」
凪は皿をテーブルに置く。
蒼の前に箸を置く。
「ご飯」
「サンキュ」
蒼は普通に食べ始める。
凪も向かいに座る。
テレビではバラエティ番組が流れていた。
誰かが大声で笑っている。
蒼はキャベツを食べながら言う。
「たぶん驚くぞ」
「何に?」
「犬の存在」
凪は少し考える。
「そりゃ驚くんじゃない」
蒼は笑った。
ほんの少しだけ。
「面白そう」
その笑い方は、たぶん
人が困るのを見るときの顔だ。
凪はそれを知っている。
でも何も言わない。
ご飯を口に運ぶ。
味はいつも通りだった。
夜は普通に過ぎていく。
だけど凪はまだ知らない。
その「彼女」が
自分の生活にどれだけ深く入り込んでくるのかを。
そして
その女が、蒼よりもずっと残酷なことをする可能性があることを。