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沙希と初めて会ったのは、蒼が連れてきた日だった。
その日は午後から雨が降っていた。
凪は大学から帰ってきて、濡れた靴下を脱ぎながら、台所でお湯を沸かしていた。
インスタントの味噌汁でも飲もうと思っていたところで、玄関の鍵が回る音がした。
蒼だ。
ドアが開く。
「凪」
蒼の声。
それから、もう一つの足音。
凪は少しだけ顔を上げた。
玄関から入ってきたのは、蒼と、その後ろにいる女の子だった。
「お邪魔します」
女の子は軽く頭を下げた。
髪は肩より少し長くて、ゆるく巻いてある。
服はシンプルだけど、どこかきれいで、大学の中でも目立つタイプだろうと思った。
「凪」
蒼が言う。
「こいつ沙希」
それから、特に説明もなく続けた。
「で、これ凪」
沙希は一瞬だけ目を丸くした。
「え?」
たぶん、紹介が雑すぎたんだと思う。
凪は苦笑して軽く頭を下げた。
「どうも」
沙希は少し戸惑ったように笑う。
「えっと……蒼の友達?」
蒼は靴を脱ぎながら言う。
「まあ」
凪はその曖昧な答えを聞いて、別に何も言わなかった。
沙希は部屋の中を見回す。
広くないワンルーム。
ソファ、テーブル、小さいキッチン。
蒼はもう自分の部屋みたいにソファに座っている。
「適当に座れば」
蒼が言う。
沙希は「うん」と言ってソファの横に座った。
凪は台所に戻る。
「お茶、飲む?」
沙希は少し驚いた顔をした。
「あ、いいの?」
「うん」
「じゃあお願い」
凪はコップを三つ出した。
お湯を注いで、ティーバッグを入れる。
後ろから沙希の声が聞こえる。
「ねえ蒼」
「ん」
「ほんとにここ来てるんだ」
蒼はテレビをつけながら答える。
「言ったじゃん」
「でも、こんな普通にいると思わなかった」
凪はお茶を持ってテーブルに置く。
沙希は「ありがとう」と言ってコップを手に取った。
それから、凪の顔をじっと見る。
少しだけ。
観察するみたいに。
「凪くんって」
沙希が言う。
「蒼と長いの?」
凪は少し考える。
「高校から」
「へえ」
沙希は蒼を見る。
「珍しいじゃん」
蒼は肩をすくめた。
「まあ」
沙希はまた凪を見る。
その視線は、さっきより少し興味を含んでいた。
「蒼さ」
沙希が言う。
「友達少ないよね」
蒼は笑う。
「余計なお世話」
「だって本当じゃん」
それから、沙希は少し身を乗り出して凪に聞いた。
「ねえ」
「うん?」
「凪くんってさ」
少しだけ笑う。
「蒼の何?」
その質問は軽い調子だった。
でも、答え方は少し難しい。
凪は一瞬だけ蒼を見る。
蒼はテレビを見ている。
興味なさそうに。
だから凪は、軽く笑って言った。
「ただの友達」
沙希は「ふーん」と言った。
でもその顔は、少しだけ納得していない感じだった。
そのとき蒼が突然言う。
「違う」
凪は蒼を見る。
沙希も蒼を見る。
蒼はリモコンをテーブルに置いて、面白そうに言った。
「こいつ犬」
一瞬、部屋が静かになった。
沙希は目を瞬かせる。
「犬?」
蒼は凪を指さす。
「言うこと聞くから」
沙希は凪を見る。
凪は特に表情を変えていない。
それを見て、沙希は少しだけ笑った。
「……ほんと?」
蒼は肩をすくめる。
「試してみれば」
その言葉を聞いて、沙希は少しだけ楽しそうな顔をした。
凪はそれを見ていた。
このとき凪は、まだ思っていなかった。
この女が
蒼よりもずっと遠慮なく
自分を使うようになるかもしれない、なんて。
ただ、
少しだけ
嫌な予感がしただけだった。