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黒瀬の名前が、資料のあちこちに現れる。
真琴は、時系列順に並べ替えたファイルを前に、しばらく黙っていた。
派手な点はない。
むしろ、妙に丁寧だ。
最初の失踪者。
接触は、失踪の二日前。
場所は人目のある飲食店。
防犯カメラあり。
会話時間、二十分。
二人目。
接触は一週間前。
昼間。
公共施設のロビー。
周囲に第三者複数。
三人目。
最後に会っているのは確かだが、
日時も場所も「偶然成立する範囲」に収まっている。
「……きれいだね」
ぽつりと、真琴が言った。
「きれい?」
澪が眉をひそめる。
「黒瀬の動き。
目立たないし、隠してもいない。
でも――」
真琴は、資料を一枚めくる。
「どこにも、無理がない」
黒瀬は、三人全員と接触している。
それは事実だ。
だから、疑われた。
だが。
「監禁の痕跡、なし。
争った形跡、なし。
強制連行を示す目撃証言、なし」
玲が淡々と読み上げる。
「死亡を示す直接証拠もない。
遺体も、凶器も、現場も存在しない」
燈が、腕を組んだまま言った。
「……それでも、有罪」
「そう」
真琴は頷く。
「状況証拠の積み重ね。
接触歴。
失踪の近接性。
過去のトラブルを“示唆する”証言」
だが、それらはすべて――
示唆でしかない。
真琴は、ある一文に指を止めた。
被疑者は、取調べにおいて一貫して黙秘。
「否認も、弁解もない」
「普通は、ここで崩れるよな」
燈が言う。
「やってないなら、言う。
やったなら、どこかで歪む」
「でも黒瀬は、どっちもしてない」
玲が言った。
「沈黙したまま、全部を受け取ってる」
真琴は、目を伏せた。
「……だから、有罪になった」
否定しない。
争わない。
説明もしない。
裁判は、「語らない被疑者」を前提に進んだ。
反証がなければ、状況は積み上がる。
積み上がった状況は、「事実」に見える。
「でも」
澪が言った。
「決定打がない」
「うん」
真琴は静かに答える。
「“やった証拠”は、どこにもない」
あるのは、
やっていてもおかしくない配置。
やったと考えると、説明が楽になる流れ。
そして――
語らない当人。
真琴は、黒瀬の写真を見た。
無表情。
挑発も、諦めも、ない。
ただ、何も言わない顔。
「……黒瀬はさ」
真琴は、ゆっくり言葉を選ぶ。
「逃げようと思えば、逃げられたと思う」
海外渡航歴もある。
資金も、手段も、時間もあった。
「でも、逃げてない」
「捕まりに行ってるみたいだな」
燈が言う。
「違う」
真琴は首を振った。
「“捕まること”を、拒否しなかった」
それだけだ。
「じゃあさ」
澪が、慎重に聞く。
「黒瀬は……
本当に、失踪事件の犯人なの?」
真琴は、すぐには答えなかった。
資料を閉じる。
一度、全部を机の端に寄せる。
「……それは」
少し間を置いて、言った。
「ここでは、まだ決めない」
決めるには、
黒瀬が「何を知っていたか」を
確認する必要がある。
足取りは、再構築できた。
だが、動機は、まだ見えない。
そして――
見えないのに、
沈黙だけが、はっきり存在している。
真琴は、父の手帳に手を伸ばした。
あの人は、
ここから先に進んで、
戻ってこなかった。
「……次は」
真琴は言う。
「黒瀬が、
何を黙っていたのかを調べる」
それが分からなければ、
この沈黙は、犯罪にも、選択にもならない。
机の上で、
黒瀬の名前だけが、静かに残っていた。