テラーノベル
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店の外で会うと、静かだ。
当たり前か、と思う。
あそこは、うるさすぎる。
ドアを開ければ、音と光と匂いが混ざる場所。
笑い声も、グラスの音も、全部が少し過剰だ。
だから外で見る彼女は、少しだけ現実的に見える。
最初は、本当に偶然だった。
仕事帰りに駅へ向かっていたら、前を歩いていた。
ヒールの音で分かった。
声をかけるか迷って、
かけないまま追い越して、
結局、改札の前で並んだ。
「お疲れ」
それだけ言った。
源氏名でも、本名でもない、曖昧な呼び方。
彼女も「お疲れ」と返した。
それで終わり。
普通に話して、普通に帰った。
それだけ。
次も、偶然だった。
同じ時間帯。
同じ方向。
三度目は、たぶん、偶然じゃない。
でも、約束はしていない。
連絡もしていない。
そもそも、連絡先を知らない。
それが、楽だった。
店は知っている。
場所も、名前も、営業時間も。
でも、行っていない。
行こうと思えば行ける。
それでも、行っていない。
理由は単純だ。
店に入った瞬間、
この距離は壊れると分かっているから。
客と店の女。
その関係に名前がつくと、
今の曖昧な位置には戻れない。
彼女は、店の中と少しだけ違う。
でも、別人じゃない。
どこまでが仕事で、どこからが素なのか、
境界がある。
越えてこない。
こっちも、越えない。
その感じが、ちょうどいい。
何も求められていない気がする。
何も与えなくていい気がする。
それが、安心だった。
ある日、少し遅くなった。
駅まで一緒に歩いた。
寒かった。
「寒いですね」
彼女が言う。
店の声じゃない。
「寒いね」
それだけ返す。
沈黙が続く。
気まずくない。
会話を探さなくてもいい沈黙。
これが、危ないと思った。
気まずくない沈黙は、長く続く。
長く続くと、手放せなくなる。
でも、まだ、名前を聞いていない。
店の名前じゃなくて、本当の名前。
聞かない方がいい。分かっている。
聞いたら、
この関係はどこかに寄ってしまう。
寄ったら、
戻れない。
戻る場所も、別にないけど。
ただ、店に行かない理由が、
少しずつ変わってきているのは分かる。
最初は、関わらないためだった。
今は、壊さないため。
だから、行かない。
行かないまま、外で会う。
それで保たれている距離。
ある日、時間が合わなくて、
会わなかった。
会わない日が続いた。
楽になると思った。
ならなかった。
駅を通るたび、
いないか探している自分がいる。
行かなかった。
店の前まで行って、
入らずに帰った日もある。
行かなかったのに、気になる。
たぶん、もう遅いんだと思う。
でも、何も始まっていない。
始まっていないなら、
終わりもない。
そう思って、
しばらくは、このままでいようと思う。
外で会う。
並んで歩く。
名前は聞かない。
連絡先も知らない。
それで成立している関係。
成立しているから、
崩したくない。
たぶん、また会う。
偶然みたいに。
偶然のままでいられるうちは、
まだ大丈夫だと思っている。