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親戚一同が泊まる古い旅館風の本家は、夜になるほど湿気がこもり、埃と畳の匂いが混ざっていた。
夕食後の騒ぎも落ち着き、大人たちは酒の席を移し、兄弟といとこたちはそれぞれ好き勝手に散らばっていった。
遥は、晃司から「風呂、入っとけよ。泥だらけで見苦しいから」とだけ言われ、追い払われるように浴場へ向かった。
優しさなどではない。
“その汚れたまま居ると周りが嫌がる”というだけの理由だった。
浴場に入ると、薄い湯気すらなかった。
蛇口から出る水は容赦なく冷たい。
湯のほうは故意に止められているのだと、すぐにわかった。
(……また、か)
毎年ではないが、似た扱いは繰り返されていた。
“温かい湯を使わせない”という、ただの嫌がらせ。
だが、今日のそれは、昼間の暴力と罵声で削られた体にとって、あまりに残酷だった。
服を脱ぎ、濡れきったシャツが肌からべりっと剥がれる。
殴られた場所は触れるだけで痛い。
腕も膝も、擦り傷と青あざが散らばっている。
鏡の前に立つ気にもならなかった。
シャワーの水をひねると、氷のような冷たさが頭を直撃し、思わず肩が震えた。
皮膚が一気に収縮し、痛みが鋭く蘇る。
(やっぱ……痛ぇな……)
昼間のことが脳裏に浮かぶ。
いとこたちの悪意むき出しの笑い。
晃司の平手、怜央菜の腕の捻り、沙耶香の冷たい声。
池の水の臭い。
大人たちの“助けるふり”をした嘲笑。
(……なんで、毎年こうなんだよ)
理由を探す気力はなかった。
問いに意味がないことは、散々思い知らされている。
ただ──
(来年も、どうせ同じだ)
その予感だけが、胃に鉛のように沈んでいく。
冷水を浴び続けるうちに体の震えは止まらなくなり、遥は壁に手をついて肩で息をした。
それでも洗わないわけにはいかない。
泥と藻が肌に張り付いたままでは、さらに嫌がられるだけだ。
指を動かすだけで痛む身体に、冷水は拷問のようだった。
石鹸を滑らせるたび、殴られた場所が反応して息が漏れた。
(……早く出よう)
シャワーを止め、タオルで体を拭く。
吐く息が白く見えるような感覚がした。
体温がどんどん落ちている。
浴衣が置かれていないことだけ少し気になったが、「自分の服を着ればいい」──そう思いながら脱衣所へ向かった。
脱衣籠の前で、遥は固まった。
入ってきたとき確かに置いたはずの、
Tシャツも、ジーンズも、下着も──全部、跡形もなく消えていた。
籠は空っぽ。
代わりに、折りたたまれた紙切れがひとつだけ入っている。
『探すの頑張れよ』
筆跡は複数混じっており、いたずらというより“遊び”の延長のようだった。
(……は?)
乾いた笑いが喉の奥で引っかかる。
怒りでも悲しみでもなく、呆れに近い感情が胸に広がる。
裸のまま出られるわけがない。
タオルで体を巻いても、この家の廊下は人通りが多い。
わざと見つかるよう仕組まれているのが、嫌でもわかる。
(ふざけんなよ……)
しかし、言葉はそこで途切れた。
怒鳴ればますます面白がられる。
見つかればまた“イベント”扱いだ。
遥はタオルを握りしめ、息を殺した。
誰もいない、静かな脱衣所に、冷えた水滴がぽたぽたと落ち続ける。
夜はまだ長い。
助けてくれる大人も、守ってくれる兄弟も、ここにはひとりもいない。
自分で探すしかなかった。
震える足で、一歩だけ踏み出した。