テラーノベル
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朝。
真白はベッドの端に座っていた。
スマホを握ったまま、画面は消えている。
昨夜は三時過ぎまで作業して、そのまま倒れ込んだ。
目が覚めたとき、部屋は静かだった。
アレクシスはもう仕事に入っている。
リビングから、英語の声が微かに聞こえる。
真白はその音を、少しだけ嫌だと思う。
意味は分からない。
でも、遠い。
——置いてかない。
昨夜の言葉が浮かぶ。
信じていないわけじゃない。
でも、信じ切れない。
真白は昔、父親の転勤で何度も引っ越した。
仲良くなった頃に、また別の町。
慣れた頃に、また別の学校。
「すぐ戻るよ」と言われたこともある。
戻らなかった。
「連絡するね」と言われた友達もいた。
いつの間にか、しなくなった。
誰かが悪いわけじゃない。
でも、離れると薄くなる。
それを知っている。
リビングから笑い声がする。
アレクシスの声だ。
仕事の声。
真白は立ち上がり、ドアの前まで行く。
開けない。
数秒迷って、結局キッチンへ向かう。
コーヒーを淹れる。
香りが立つ。
会議の声が止まる。
椅子の音。
「起きた?」
アレクシスが出てくる。
「うん」
目が合う。
少し、ぎこちない。
昨夜の続きが、まだ残っている。
「ちゃんと寝た?」
「まあ」
アレクシスは真白の顔を見る。
「クマ」
「うるさい」
でも、その視線は優しい。
真白はカップを持ったまま言う。
「さ」
「うん?」
「もしさ、もっと大きい案件来たら」
「うん」
「今より忙しくなる?」
「なると思う」
即答。
悪気はない。
「楽しい?」
「うん。正直」
少し誇らしげ。
その顔を見て、真白は胸が少しだけ重くなる。
「俺さ」
「うん」
「昔、何回も引っ越してて」
唐突に言う。
アレクシスは黙って聞く。
「慣れるの、得意なんだよ」
「そう?」
「うん。すぐ順応する」
少し笑う。
「でも、慣れた頃にまた変わるの、嫌い」
視線を落とす。
「だから、多分」
息を吸う。
「今、ちょっと怖い」
その言葉は、飾っていない。
アレクシスは数歩近づく。
「俺が?」
「状況が」
少し間。
「でも、たぶん、俺も」
「うん?」
「忙しくなると、自分のことで手一杯になる」
真白は正直だ。
「そのとき、ちゃんと掴めてるか、自信ない」
アレクシスは静かに言う。
「掴むって」
「……繋がってる感じ」
抽象的。
でも本気。
しばらく沈黙。
アレクシスは真白のカップを持つ手に触れる。
奪わない。
ただ、指先に触れる。
「離れないよ」
「分かってる」
「本当に」
「分かってるって」
少し強い声。
「でも分かってても怖いときある」
それが本音。
アレクシスは、真白の額に軽く触れる。
キスではない。
ただ、触れる。
「怖いって言ってくれればいい」
「今言ってる」
「うん」
指が、少しだけ強くなる。
「じゃあ、俺も言う」
真白が顔を上げる。
「俺も怖いよ」
「何が」
「置いてかれるの」
意外な言葉。
「君の世界、どんどん広がる」
ゲームの大型案件。
会社での評価。
仲間。
「俺は部屋で翻訳してるだけ」
「だけじゃない」
「でも派手じゃない」
アレクシスは笑う。
「だから、怖いのはお互い様」
真白は、少しだけ息を吐く。
「ずるい」
「何が」
「それ言われると、俺だけ不安みたいにできない」
「したことない」
少しだけ、距離が縮まる。
完璧には解決しない。
でも、輪郭は見えた。
怖さの正体は、
“離れるかもしれない未来”じゃなくて、
“追いつけなくなるかもしれない今”。
真白はカップを置く。
「今日、俺早い」
「会社?」
「うん」
玄関へ向かう。
靴を履く。
ドアを開ける前、振り向く。
「夜、ちゃんと顔見るから」
昨夜の続きみたいに言う。
アレクシスは頷く。
「約束?」
「具体性あるでしょ」
少しだけ笑う。
ドアが閉まる。
部屋に静けさが戻る。
でも今は、
ただの時差じゃない。
お互いの“怖さ”を知った上で、
まだ隣にいる。
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