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面会室は、いつ来ても時間の感覚が狂う。 昼か夜かも分からない、均一な光。
音は反響せず、会話だけが切り取られる。
黒瀬は、以前と同じ位置に座っていた。
同じ服。同じ姿勢。同じ無表情。
違っているのは――もう、こちらを試す目をしていないことだけだった。
真琴は、椅子に腰を下ろすと、書類も録音機も出さなかった。
今日は、確認のための場じゃない。
「……効いたよ」
それだけ言う。
黒瀬は、わずかに眉を動かした。
驚きでも、安堵でもない。
予測が当たったときの、ごく軽い反応。
「想定より、早かった」
声は低く、淡々としている。
自分の言葉がどう使われたかを、すでに把握している口調だった。
「想定してた相手じゃないところでね」
真琴は言う。
「内部監査でも、上層でもない。もっと、逃げ場のないところで」
黒瀬は、少しだけ視線を落とした。
その動きは、後悔ではない。
確認だ。
「……それなら、十分だ」
「自分が出ていく必要はなかった?」
真琴が問う。
黒瀬は、首を横に振った。
「最初から、俺が出る前提じゃない」
言い切りだった。
「出た瞬間、言葉は“証言”になる。そうなったら、使い道は一つしかない」
有罪か無罪か。正しいか間違いか。その二択に回収される。
「でも、俺の立場なら」
黒瀬は続ける。
「“意味だけ”を残せる」
懺悔でもない。遺言でもない。告発でも、告白でもない。
「引き金」
真琴が言う。
黒瀬は、ほんの一瞬だけ笑った。
それは、初めて見る表情だった。
「分かってるじゃないか」
自分の言葉が、誰に向けたものでもなく、いつ使われるかも決められていない、ただ“条件が揃ったときにだけ機能するもの”だと。
「父と、似てる」
真琴は静かに言った。
「残し方が」
黒瀬は、その名前を聞いても反応しなかった。
だが、次の言葉は、少しだけ間があった。
「……あの人は、途中で止めた」
「あなたは?」
「最後まで、立場を固定した」
檻の中。動けない場所。発言権のない位置。
「だから、使えた」
真琴はそう言って、立ち上がる。
「私たちは、あなたを救わない」
「分かってる」
即答だった。
「無罪にもならない。評価も変わらない。あなたの名前は、このまま」
黒瀬は、黙って聞いている。
「でも」
真琴は、最後に言った。
「あなたが黙った理由は、無駄にしない」
黒瀬は、その言葉を噛みしめるように、目を閉じた。
数秒。
それから、低く息を吐く。
「……それでいい」
許しではない。救済でもない。
ただ、自分が“選ばせなかった選択”が、誰かに理解された上で、乗り越えられたと知る。
それだけで。
「もう、用はないな」
黒瀬が言う。
「うん」
真琴は頷いた。
扉が開く。係員が合図をする。
立ち去る直前、黒瀬は、背中越しに一言だけ残した。
「――黙らないなら、ちゃんと、使え」
振り返らずに、真琴は答えた。
「分かってる」
面会室に残ったのは、もう役目を終えた男と、それでも消えない“言葉の機能”だけだった。
黒瀬は、最後まで語らなかった。
だが、語らなかったからこそ、今も効いている。
それが、彼が選び続けた立ち位置だった。