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朝の探偵社は、夜ほど静かじゃない。
車の音、人の声、遠くの工事。
世界は普通に動いていて、昨日までの出来事だけが、どこか置き去りになっている。
真琴は、窓際の机で、何も書かれていない画面を見つめていた。
報告書は出さない。
まとめもしない。
提出先も、もうない。
「……終わった、って顔じゃないね」
玲がコーヒーを置きながら言う。
いつもの調子だが、声は少し低い。
「終わってないから」
真琴は即答した。
「ただ、やれることはやった」
澪が、棚に戻したファイルに視線を向ける。
ラベルは貼られていない。
意図的に、だ。
「内部、かなり荒れてる」
澪が言う。
「公式には何も起きてない。でも――動線が変わった」
燈が椅子を回しながら、鼻で笑う。
「“誰がやったか分からない”って状態が、 一番効くんだよな」
誰も否定しなかった。
久我は、最後まで何も渡さなかった。
だが、何も守らなかった。
木津は、何も語らなかった。
だが、現場を閉じなかった。
それだけで、構造は歪む。完全には壊れない。でも、同じ形では、もう回らない。
「黒幕は?」
燈が聞く。
「捕まらない」
真琴は言った。
「少なくとも、この件では」
「じゃあ、負け?」
玲が問い返す。
真琴は、少し考えてから首を振った。
「違う」
勝ちでもない。救いでもない。
「“使われ続ける真実”を、止めただけ」
真実を暴けば、また誰かが背負わされる。
名前を出せば、また選ばされる。
だから、使い切った。引き金として。歪みを可視化する装置として。
それ以上は、しない。
探偵社のドアが開き、朝の光が差し込む。
依頼人はいない。今日も、たぶん来ない。
それでいい。
真琴は、父の名前が書かれたメモを、引き出しの奥に戻した。
捨てない。飾らない。意味づけもしない。
父は、事件を解決しなかった。黒瀬は、語らなかった。久我は、踏み込まなかった。
それでも、誰かが、全部を理解した上で、別の選択をした。
それだけで、十分だ。
真琴は、立ち上がり、探偵社の看板を見る。
色あせた文字。
「よはく探偵社」
余白は、何も書かれていない場所じゃない。
誰かが、考え続けるために残された空間だ。
正義じゃない。復讐でもない。
理解したから、使った。
それだけの話だ。
探偵社の一日が、静かに始まる。この街は、何もなかった顔で、今日も動いている。
――だが、もう同じ形では、続かない。
それを知っている人間が、確かに、ここにいるのだから。
(完)