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店はまだ余裕がある時間だった。
ナナは軽い男の席についている。
グラスを回しながら、いつものテンポで笑う。
「それ絶対嘘でしょ」
「ほんとだって」
くだらない話。
でも、このくだらなさがちょうどいい。
軽い男は距離が近い。
肩が触れそうで触れない位置。
ナナは、触れない角度を知っている。
そのとき、扉の音がする。
視線は向けない。
けれど、空気が変わる。
静かな男が入ってきた。
黒服が案内する。
奥の席。
ナナは気づいている。
でも、気づいていない顔をする。
軽い男がふと振り向く。
「あ、あの人また来てる」
「常連さんだよ」
さらっと言う。
言い方は平坦。
でも心拍が、少しだけ上がる。
静かな男は奥に座る。
こちらを見ない。
見ないけど、分かっている。
ナナは今の席を優先する。
仕事として当然。
笑いながら、
ふと視線だけ奥へ向く。
一瞬、目が合う。
それだけで、
喉の奥が少し乾く。
――危ない。
そのとき。
「ナナ」
低い声。
振り向くと、
カウンター側に観察する男が座っている。
いつからいたのか分からない。
気配が薄い。
「珍しいですね」
ナナは言う。
「混んできたね」
まだ混んでいない。
でも、空気は確実に密度を増している。
軽い男が笑う。
「なんか今日集まるね」
冗談みたいに言う。
ナナは笑う。
笑いながら、配置を計算する。
軽い男のテンポ。
観察する男の視線。
奥の静かな男の沈黙。
まだ三人。
でも、十分多い。
黒服が近づく。
「ナナ、奥も」
分かってる。
ナナは立ち上がる。
「ちょっと待っててね」
軽い男に。
観察する男にも、同じ声色。
奥の席へ向かう。
静かな男は、グラスに触れていない。
「こんばんは」
「こんばんは」
短い。
「今日は早いですね」
「たまたま」
またそれ。
ナナは少し笑う。
「さっきから、見えてました?」
「うん」
隠さない。
胸が、少しだけ痛い。
「楽しそうだった」
責めない言い方。
でも、温度が少し低い。
ナナは首を傾げる。
「仕事ですよ」
嘘じゃない。
でも、それだけでもない。
そのとき、
軽い男が立ち上がるのが見える。
奥へ歩いてくる。
「合流していい?」
軽い声。
でも、引く気はない。
ナナの一瞬の間。
静かな男は、何も言わない。
観察する男が、カウンターから立つ。
三人が、同じテーブルに集まる。
ナナは中央。
まだ誰も争っていない。
声も荒れていない。
笑いもある。
なのに。
温度だけが、少しずつ上がっている。
観察する男が言う。
「ナナ、今日ちょっと違うね」
「何がですか?」
「視線」
静かな男が、ほんの少しだけ目を細める。
軽い男は笑う。
「怖いこと言うなよ」
ナナは笑う。
完璧な笑顔。
でも、心臓だけがうるさい。