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夜の空気はまだ冷たいのに、どこか冬の終わりを感じさせる柔らかさがあった。
昼間に少しだけ気温が上がったせいか、窓の外の風も、真冬のように刺す感じはない。
真白はソファの背にもたれながら、スマホをぼんやり眺めていた。
画面は開いているが、内容はほとんど頭に入っていない。
長い一日のあと、ただ静かに時間を流しているだけだった。
キッチンの方から、コーヒー豆を挽く小さな音が聞こえる。
アレクシスだ。
その音を聞きながら、真白は目を閉じた。
少しして、カップを置く音がする。
「真白」
呼ばれて、目を開ける。
「なに」
アレクシスはマグカップを差し出していた。
湯気が細く上がっている。
「少しだけ飲む?」
「夜なのに?」
「カフェイン少なめ」
真白はカップを受け取り、手のひらで温度を確かめた。
「……あったかい」
小さく呟く。
アレクシスは向かいではなく、ソファの隣に腰を下ろした。
距離は近いが、体が触れるほどではない。
けれど、その近さが不思議と落ち着く。
しばらく、ふたりは黙っていた。
真白がコーヒーを一口飲む。
柔らかい苦味が喉に落ちて、体の奥が少しだけ温まる。
「今日さ」
真白がぽつりと言う。
「会社の帰り、なんか匂いした」
アレクシスが少し首を傾ける。
「匂い?」
「土みたいな」
真白は言葉を探すように続けた。
「たぶん、公園の近く通ったからだと思うけど」
窓の方を見る。
「冬の匂いじゃなかった」
その言い方が、どこか静かだった。
アレクシスも同じように窓へ視線を向ける。
「春の匂いかな」
「まだ早い」
「でも来てる」
真白は少し笑う。
「アレク、そういうのよく言うよな」
「何が」
「季節の話」
アレクシスは少し考えてから言った。
「真白が気づくから」
「俺?」
「さっきみたいに」
真白はカップを見つめる。
「別に深い意味ない」
「それでいいと思う」
静かな声だった。
部屋の中には暖房の温度が残っていて、外よりずっと暖かい。
真白は少し背中を伸ばして、ソファに体を預け直した。
「ねぇ、アレク」
「うん」
「春になったらさ」
少しだけ迷う。
「どこか行く?」
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アレクシスが真白を見る。
「どこへ」
「分かんない」
真白は小さく笑った。
「まだ寒いし。
でも、春になったら」
その言い方が、少しだけ未来を含んでいた。
アレクシスはゆっくり頷く。
「いいね。 どこでも」
そして少しだけ間を置いてから、静かに付け足した。
「真白となら」
真白は視線をそらす。
カップを口に運びながら、わずかに耳が赤くなった。
「……そういうの、普通に言うな」
「思ったことだから」
「恥ずかしい」
「どうして」
「分かるだろ」
真白は小さく息を吐いた。
けれど、少ししてから言う。
「でも」
視線はまだカップのまま。
「嫌じゃない」
アレクシスは微笑んだ。
窓の外では、夜の空気がゆっくりと流れている。
まだ冬の終わり。
けれど、どこかで季節が少しだけ動き始めている。
その静かな変化の中で、ふたりの時間もまた、ゆっくりと続いていた。