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どれくらい経ったのか、分からない。
呼吸だけが、やけに大きく聞こえる。
床に落ちたまま、体を起こす理由も見つからない。
動かなければ、次は来ない。
そう思っていた。
――違った。
「……いつまでそうしてるつもり」
頭上から落ちてくる声。
足音は聞こえなかった。
気づいたときには、すぐ近くに立っている。
遥は反射的に体を起こそうとして、失敗する。
腕に力が入らない。
「起きろ」
短く。
従えなかった、その一瞬。
腹に蹴りが入る。
鈍い衝撃。
さっきよりも、正確に同じ場所を狙ってくる。
「一回で動けよ」
息が潰れる。
それでも、今度は無理やり体を起こす。
膝立ち。背中は勝手に丸まる。
「違う」
すぐに否定される。
肩を掴まれて、強制的に姿勢を引き上げられる。
「さっきやっただろ。“まっすぐ”」
条件は繰り返される。
覚えるまでじゃない。
崩れなくなるまで、叩き込むために。
背筋を伸ばす。
痛みで視界が滲む。
「ほら」
軽く、頬を叩かれる。
確認するみたいに。
「その顔、何」
笑ってはいない。
でも、楽しんでいる温度。
「“やらされてる”顔するなよ」
もう一度、叩かれる。
「自分でやってるんだろ?」
言葉が、ねじ込まれる。
事実じゃない。
でも、否定する余地がない。
「言え」
間を置かずに来る命令。
「……」
「言えって」
顎を掴まれる。
無理やり上を向かされる。
視線を逸らせない。
「……おれ、が……」
声が震える。
「自分で……やってる……」
言葉にした瞬間、何かが静かに削れる。
肯定でも納得でもない。
ただ、“そういう形にされる”。
「最初からそう言えばいいのに」
手が離れる。
力が抜ける。
崩れそうになる体を、ぎりぎりで支える。
その様子を、しばらく見下ろしてから――
「まだ終わってないから」
淡々と。
感情の起伏がない分だけ、逃げ場がない。
「風呂、行け」
一瞬、意味が分からなかった。
「そのまま寝る気?」
視線が落ちる。
服の乱れ、床に擦れた跡、呼吸の荒さ。
全部、“そのままにしていい状態じゃない”と判断されている。
「痕、残すなよ」
付けた側が言う言葉。
矛盾を指摘する余地はない。
遥は立ち上がる。
足元が揺れる。
一歩目で壁に手をつく。
「遅い」
背中に声が刺さる。
それだけで、無理やり足を動かす。
廊下を歩く。
自分の家のはずなのに、距離の測り方が分からない。
浴室のドアを閉めた瞬間、ようやく一人になる。
水を出す。
音が、少しだけ外を遮る。
服を脱ぐ手が、止まる。
触れたところから、痛みが遅れて浮き上がる。
背中。肩。腹。
全部、“さっきのまま”残っている。
シャワーを浴びる。
温度が、やけに鋭い。
当たるたびに、体が勝手に強張る。
「……っ……」
小さく、声が漏れる。
ここなら、誰にも聞かれない。
そう思った瞬間――
ドアの向こうで、足音が止まる。
息が止まる。
「……何」
外から、声。
聞こえているかどうかを試すみたいな、短い問い。
遥は、何も返せない。
水の音だけが続く。
数秒。
そのあと、足音は離れていく。
それでも、呼吸は戻らない。
声を出していい場所でも、
出していい保証はどこにもない。
シャワーを止める。
静寂が戻る。
さっきよりも、重い。
タオルで体を拭く。
触れるたびに、どこかが痛む。
でも、それを確かめるように、わざと強く押さえる。
どこまでが“まだ耐えられるか”。
それを、自分で測るみたいに。
服を着て、部屋に戻る。
電気はついていない。
暗いまま。
布団に入る。
横になると、背中に残っていた感覚が一気に広がる。
目を閉じる。
昼の光景。
放課後の部屋。
さっきの声。
順番も関係なく、浮かんでは沈む。
――無音。
――違反。
――責任。
――従うだけ。
言葉だけが、残る。
眠るための思考じゃない。
崩れないように固定するための繰り返し。
どれだけ時間が経っても、眠りは浅いまま。
そして――
朝は、止まらずに来る。