テラーノベル
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目が覚めたのは、音だった。
アラームじゃない。
廊下を歩く足音。
ドアの向こうの生活音。
それだけで、意識が浮かび上がる。
体を動かす前に、分かる。
昨日の続きが、そのまま残っている。
背中に、鈍い重さ。
腹に、引っかかる痛み。
腕を動かすと、遅れてくる違和感。
寝ている間に“戻る”ものは、何もなかった。
ゆっくりと体を起こす。
その動きだけで、呼吸が浅くなる。
「……っ……」
声を出さないように、口を閉じる。
誰もいないのに、その癖が抜けない。
制服に手を伸ばす。
シャツを通すとき、肩で一瞬止まる。
布が触れるだけで、昨日の感覚が引き戻される。
それでも、止まらない。
止まれば、“遅い”になる。
準備を終えて、部屋を出る。
リビングを通るとき、視線を上げない。
「……遅れるなよ」
それだけ言われる。
昨日のことには触れない。
なかったことにはしない。
ただ、“継続している前提”で扱われる。
それが一番、逃げ場がない。
「……はい」
短く返す。
声は、昨日よりもさらに薄い。
玄関で靴を履く。
紐を結ぶ指が、少しだけ震える。
ドアを開ける。
外の空気が入ってくる。
それでも、軽くならない。
学校に向かう足取りは、昨日よりも遅い。
でも、止まらない。
止まれば、どこにも行けなくなる。
校門が見える。
昨日と同じ景色。
同じ建物。
同じ時間。
でも、体の内側だけが違う。
昇降口に入る前、ほんの一瞬だけ足が止まる。
理由は分かっている。
ここから先に、“昨日の続き”があるから。
それでも、入る。
靴を履き替える。
背後で、誰かの笑い声。
「お、来た」
それだけで、空気が変わる。
昨日と同じ。
いや、昨日の“結果”を踏まえた今日。
「今日もちゃんとやるよな?」
確認じゃない。
前提。
遥は、わずかにうなずく。
その動作ひとつで、許可が出る。
「じゃ、朝のやつからな」
廊下へ。
昨日と同じ位置。
同じ床。
同じ角度。
「はい、五分。今日はちゃんと測るから」
スマホの画面が向けられる。
カウントが始まる。
遥は、床に手をつき、額をつける。
冷たい。
昨日と同じはずなのに、
今日は“知っている分だけ”重い。
「動くなよ」
後頭部に、軽く靴が触れる。
押さえつけるほどじゃない。
でも、“いつでも押せる”位置。
時間が進む。
秒数が、やけに長い。
呼吸を抑える。
昨日の“違反”が、頭に残っている。
――息を殺せ。
――音を出すな。
それでも、体は勝手に呼吸をする。
小さな音が漏れる。
「……今の、ちょっと大きくない?」
すぐに拾われる。
「どうする? もう一回いく?」
笑い声。
やり直し。
最初から。
五分が、延びる。
終わりが遠ざかる。
額を押しつけたまま、視界は何も映らない。
でも分かる。
“逃げ場がない”ことだけは、はっきりと。
チャイムが鳴る頃には、足の感覚が薄れていた。
「はい終了。今日はマシだったんじゃね?」
軽い評価。
基準はない。
でも、それで一日が決まる。
「じゃ、次。“無音”続行な」
昨日の続き。
解除はされない。
延長される。
遥は立ち上がる。
一瞬、視界が揺れる。
それを見て、誰かが笑う。
「ほら、フラフラしてんじゃん。ちゃんとしろよ」
ちゃんと。
その言葉の中身は、誰も説明しない。
でも、従わない選択肢はない。
教室に入る。
席に座る。
机の中に、また紙が入っている。
開くまでもない。
分かっている。
それでも、見る。
『今日も崩れるなよ』
命令でも、応援でもない。
ただの“観察”。
壊れるかどうかを、楽しむための。
遥は、紙を折って机に戻す。
その動作だけで、背中に視線が刺さる。
授業が始まる。
声は出せない。
でも、指される可能性はある。
そのとき、どうするか。
答えられない。
黙れば違反。
喋れば違反。
どちらにしても、“補修”は来る。
それでも――
時間は進む。
止まらない。
逃げられない。
同じ一日が、少しずつ条件を変えて、繰り返される。