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朝の廊下は、畳の匂いと味噌汁の匂いが混ざり、いやに“日常”の顔をしていた。
遥は壁に張りつくように歩く。もちろん、何も着ていない。肌に触れる空気さえ痛い。
居間から親戚の笑い声が聞こえたとき、喉がひくりと鳴った。
「……行けって、言うのかよ」
呟いた声は、夜の池の水より頼りなかった。
それでも行くしかなかった。
――行かなければ“呼び出される”。そのほうがもっと惨めだ。
そして何より、いとこたちが仕込んだ“罠”が何か、遥はまだ知らない。
襖を開ける。
その瞬間、全員の視線が、ゆっくりと、そして確実に遥へ流れた。
テーブルを囲む親戚たちの目に、一拍の沈黙。
次の瞬間、それは静かに形を変える。
「……は? ちょっと、遥?」
叔母の眉が鋭く吊り上がった。
「あんた、なにその格好。はしたないにも程があるわ」
「人が集まるところへ、その……裸? 信じられない」
「生まれの問題かしら……」
大人たちの声は、呆れと嫌悪の温度でじわじわと満ちていく。
恥ずかしいのではない。刺されている。皮膚ではなく、人格が。
遥は顔を上げられない。
しかし、いとこたち――昨夜の主犯は、すでに“芝居”を始めていた。
「ねえ、昨日の夜さ……遥、変だったよね?」
「うん……なんか、“裸のほうが落ち着くんだ”って言っててさ」
「止めたのに、勝手に脱いで……走り回って……」
嘘だ。
その嘘は、遥の口をつぐませるほど巧妙に編まれている。
親戚の空気が一気に変わる。
“哀れみ”ですらない。“理解不能の人間”を見るような視線。
「……あんた、病気なの?」
「昔からちょっと変だと思ってたのよ」
「晃司たちが苦労するわけだわ……」
名前を呼ばれた兄が、ゆっくり箸を置く。
晃司の瞳にあったのは、怒りではなく“演技の前の冷笑”だった。
「……遥。お前さ、何か言うことあるだろ?」
穏やかな声が、逆に場を凍らせる。
遥は喉が詰まり、言葉が出ない。
言い返したところで、信じてもらえない。昨夜のいとこたちの笑いが蘇る。
――反論した瞬間、もっと地獄になる。
「黙るんだ?」
晃司はゆっくり立ち上がった。
沙耶香が口元を手で隠して笑う。
「ほら。やっぱりそう。やましい子は黙るのよ」
「怜央菜、あれ見て。反抗期ってレベルじゃないね」
「颯馬、どう思う?」
「うーん……処理の仕方、ちょっと考え直した方が良さそう」
兄弟の声は、完全に“制裁前の確認”だった。
大人たちは止めない。むしろ、
「ちょっと叱ってあげて。ああいう子は誰かが締めないと」
「うちの家、変な噂立つのは困るからね」
――地獄に油を注ぐ。
それを聞いた晃司は、笑った。
ゆっくり、静かに、確実に。
「……じゃあ遥。立て」
命令というより“告知”だった。
遥は震えながら立ち上がる。
そのとき、いとこたちの一人が、わざとらしく声を上げた。
「ねえ、昨日さ……遥、池から出た後も、自分から服脱いで見せてきたよね?」
「ほんとドン引きした。なんか……変な癖あるよね?」
嘘。
それでも場は完全に信じてしまう。
24
「最低ね……」
「親として恥ずかしいわ」
「勘当ものだろ、普通」
責める言葉がテーブルを越えて襲いかかる。
遥は耐えられず、一歩後ずさった。
その背中を、晃司が掴む。
兄の呟きは、耳元で低く湿っていた。
「――“どんな地獄でも逃げられない”って、わからせてやるよ」
その言葉が落ちた瞬間、
場の空気が残酷な静けさで満たされた。
朝の日差しは明るいのに、
遥には、どこにも逃げ場がなかった。